2017年2月12日日曜日

発菩提心

仏道を学ぶには、通常誰でも「発心」即ち菩提心を発さなければならいと考えるが、それは、何か特別の「信仰のこころ」を発すことではなく、自己満足追求に終始することを止めて、尽十方界真実(現実)をそっくりそのまま素直に頂くことである。
道元禅師の『学道用心集』の初めは、まず「菩提心を発オコすべき事」とある。
そして「ただ世間の生滅無常を観ずる心もまた菩提心と名づくと。……誠にそれ無常を観ずる時、吾我(自我)の心生ぜず、名利(名誉や富)の念起こらず。時光の太だ速やかなることを恐怖す、所以に行道は頭燃を救う(時間を惜しんで仏道に勤む)。……ただ暫く吾我を忘れて潜かに修(只管打坐)す、乃ち菩提心の親しき(尽十方界真実そのもの)なり」と示されており、仏道は無常を観じ自我を超えた菩提心を発すことが第一であると示されている。
一般に人間は、大震災等大自然の威力や身近な者の死等、人間社会の脆さ・儚さ即ち人間の有限性に直面する時、自己満足の追求に明け暮れている自分から大自然に生かされて生きている本来の自己(尽十方界真実人体)即ち「菩提心」に目覚めることがある。
この本来の自己に目覚めて、自己満足追求を棚上げにすること、即ち本来の自己に還ることが「発菩提心」である。なお発菩提心は「発心」「道心」「発無上心」とも言う。




一 発菩提心の意義


    発菩提心」とは、前述の通り「本来の自己に還る」こと、即ち菩提心(尽十方界真実)に目を開き、自己の本来の姿(尽十方界真実人体)に徹することである。
    つまり自我を放棄すること、即ち自分の欲望満足の追求を止めることである。それは究極的には、大乗仏教の「菩薩」に象徴される様に、自己は成仏しなくても、「全ての人が菩提心を発すように努める」、即ち「利益リヤク衆生」に努める事(「度衆生心」)を意味する。
    何故なら本来的に菩薩は既に成仏している(誰でも本来成仏である)から、わざわざ「成仏」を目的にする必要がない。
    ただ誰でも本来成仏(生かされて生きている)であるにも拘らずそれに気付かず自分の欲望満足の追求に終始しているため、菩薩は慈悲心を以て誰もが菩提心を発すように努めるのである。
    なお「菩提心」は、「菩提」が尽十方界真実ないし現実(真の事実)をまともに頂くことであり、「」も先述の通り尽十方界真実であるから、全体として尽十方界真実、即ち我々が生かされて生きている事実ないし現実をまともに頂く事である。
    因みに仏法における「」も菩提と同じ意味であり、現実をまともに頂く事であり、心理的・精神的な意味ではなく、前項の「」と同義である。
    さて『正法眼蔵』「身心学道」巻に「菩提心発なり、発菩提心なり」とあるように、「」とは、我々の身体における「自我意識の放棄」を言い、「尽十方界真実をまともに頂く」ことが「自我意識の放棄」であり、「自我意識の放棄」が「尽十方界真実の在り方」である。
    つまり尽十方界真実には所謂「自我意識」が入る余地が無いから、「発」菩提心(尽十方界真実)とは、何か特別の或る「こころを発す」こと、即ち何か特別の精神状態になることを意志・意欲することではなく、逆に自我意識を放棄して大自然(尽十方界真実)をそっくりそのまま素直に頂くこと(無所得・無所悟の坐禅)である。

    なお『正法眼蔵』「発菩提心」巻が示すように、「慮知心(分別智)」がなければ菩提心は起こらない。ただし慮知心は菩提心ではない。
    何故なら「慮知心」は人間の分別・認識能力であり、「尽十方界真実に目覚める」ことが出来るのはこの能力の働きであり、「菩提心を発す」即ち自我を放棄(エゴイズムの放棄)することの意味を理解し、坐禅を実践する行為はこの能力のお蔭だからである。
    要するに我々は本来菩提心に生かされて生きており、菩提心から離れることは出来ない。従って発菩提心に何か特別な条件を必要とするのでは無い。ただ我々の自我が放棄されればそのまま本来の菩提心である。例えば眠っている時は自我活動がないから菩提心そのものである。



二 坐禅が発菩提心である


    以上のことから、誰でも何時でも何処でも、「自我意識の放棄」即ち無所得・無所悟の只管打坐の坐禅(尽十方界真実の実修実証)をしさえすれば、「発菩提心」である。
    正に坐禅は、脳の生理現象として常時発現して来る自我意識を放棄する百千万発の発菩提心の姿である。また前掲「身心学道」巻に「菩提心をおこしてのち、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行李を習学するなり。たとひいまだ真実の菩提心おこらずといふとも、さきに菩提心をおこせりし仏祖の法をならふべし」とある通り、仮に未だ真実の菩提心が発らなくとも、即ち「坐禅の意義」を明確に自覚していなくても、「仏祖の法」即ち「只管打坐の坐禅」を如法に実践すれば、現実に尽十方界真実を実修実証すること即ち発菩提心を習学することになるのである。



三 発菩提心は利益衆生である


    更に前掲「発菩提心」巻は、「菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願しいとなむなり」と言い、また「無量劫(永久に)おこなひて、衆生をさきにわたして、みづからはつひにほとけにならず(自己満足の放棄)、ただし衆生をわたし、衆生を利益するもあり」というように、所謂「自未得度先度他」即ち自分が得道しないうちでも他人を度す(他人に菩提心を発させる)という無所得・無所悟の菩薩行を示されている。
    そして「おおよそ菩提心は、いかがして一切衆生をして菩提心(エゴイズムの放棄)をおこさしめ、仏道に引導せまし(坐禅させよう)と、ひまなく三業(生活全体)にいとなむなり。いたずらに世間の欲楽をあたふるを、利益衆生とするにはあらず」と徹底した「度衆生心」即ち利益衆生を勧めている。
    注意しなければならないのは、「世間の欲楽をあたふるを、利益衆生とするにはあらず」とあるように、「利益衆生」とは「利行化他(利他行)」に徹することであるが、一般に誤解されているように、福祉事業をやることを意味しているのではない。
    仏道修行の根本はエゴイズム(自己満足の追求)の放棄に尽きるのである。
    要するに「利他行に徹する」とは、全てのものに奉仕することであるが、端的には自我活動を放棄することである。
    そして究極的に、「誰もがエゴイズムを放棄する」ように奉仕することなのである。
    まさに大乗仏教に始まる「菩薩行」は「当に願わくは衆生と共に」という「誓願」が根底にある。言わば「自行が同時に化他」である。
    ところが声聞・縁覚等の小乗仏教は、自分がさとりたいという理想を求める自己満足追求の有所得の行に過ぎず、発菩提心とは言えないのである。
    因みに「上求菩提、下化衆生」(菩提を求めて衆生を教化する)というような言葉は道元禅師の『正法眼蔵』にはない。何故ならこれまで述べたように、菩提(尽十方界真実)は求め得るものではない。特に『金剛経』「究竟無我分」(自我の放棄の徹底)は、菩薩に本来「衆生済度」という意識があってはならないと説く。
    また「衆生」とは尽十方界真実の一時の様相(「心仏及衆生是三無差別」(『華厳経』))であり、衆生済度の対象(衆生)等本来無いからである(後述「般若波羅蜜」参照)。



四 発菩提心と感応道交


    ところで、前掲「発菩提心」巻に、「感応道交するところに発菩提心するなり」という言葉がある。感応道交ということは、師資(師匠と弟子)の緊密な信頼関係においてのみ通じ得ることであるが、例えば霊鷲山において釈尊が蓮華を拈じた時、摩訶迦葉が微笑したという「拈華微笑」の故事は感応道交(仏と仏が通じる)の好例である。
    道元禅師は「感応道交は菩提心をおこすことである」と示されているが、真の感応道交は主客がなく、発菩提心即ち坐禅(只管打坐)において初めて現成する
    つまり本当の坐禅信仰に生きる師匠と弟子の信頼関係においては、只管打坐することが即ち感応道交であると言える。



五 発心と畢竟


    同じく「発菩提心」巻に、「発心とは、はじめて「自未得度先度他」の心をおこすなり、これを初発菩提心といふ」という言葉があるが、「発心」とは「初発菩提心」のことである。ところで『大般涅槃経』「迦葉菩薩品」偈は、「発心畢竟二無別、如是二心先心難、自未得度先度他、是故我礼初発心」という仏法の大原則を述べている。
    即ち「初発心(自未得度先度他の心)」も「畢竟(仏果菩提、成仏)」も尽十方界真実において変わりがないことを述べている。
    いずれも尽十方界のそれぞれの様相であることにおいて同じだからである。
    また「初発心時便成正覚」という言葉の通り、初発心の時も正覚が成立(成仏)していることは言うまでもない。
    なお「発心正からざれば万行空しく施す(『学道用心集』)とあるように、初発心の在り方即ち「択法眼チャクホウゲン」に厳密性が要求されるのは当然である。



六 発菩提心と刹那生滅


    「仏法」の項でも説明したように、宇宙に存在するありとあらゆるものは一刻も休まず活動し続けている。この事実を「刹那生滅」というが、前掲「発菩提心」巻に「壮士の一弾指のあひだに、六十五の刹那ありて、五蘊生滅」とある。つまり「刹那生滅」とは、成年男子が一回指を弾く(鳴らす)間に、六十五刹那があり、我々の身体もその刹那(瞬間、最も短い時間の単位)毎に生滅を繰り返していると言う。
    勿論この考え方は仏教独特の考え方であり、科学的証明に親しむものではないが、ありとあらゆるものが常に刻々と変化(生命活動)し続けているという絶対的事実(直観)は現代においても合理性があると言える。
    更に、「同」巻は「おほよそ発心・得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の悪さるべからず。前刹那の悪いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず」と言う。
    つまり刻々生滅変化するからこそ、例えば悪の状態から善の状態へ変化することが出来るのであり、発心も得道も可能になるのだという。
    更に「かく(刹那生滅)のごとく流転生死(喜怒哀楽の人生)する身心をもて、たちまちに自未得度先度他の菩提心をおこすべきなり。」即ち満足追求に明け暮れる我々の自我から身体を解放し、尽十方界真実を実践(坐禅=発菩提心)すべきだと「同」巻は説示する。



七 大乗


    なお、上述の大乗仏教の菩薩行に関連して、「大乗」について付言する。「大乗」とは、尽十方界真実のことである。つまりあらゆる事物事象を存在させ、生滅させている事実、即ちあらゆるものは自分勝手に存在しているのではなく、尽十方界(宇宙・大自然)という「大きな乗り物」の中に在り、ありとあらゆるものを包摂して全く漏らすものがないという事実を指す。
    従って何者も尽十方界から逃れることは出来ないし、又これを目標とし対象とすることもできない。
    我々はこの尽十方界の真実(人体)に支えられて自我活動をしている。
    別の言葉で言えば「唯仏与仏乃能究尽」、即ちありとあらゆるものがありとあらゆる在り方であるという完全な真実(真の事実)しているのである。
    因みに教学上の定義は「智慧広大にして能く一切法を建立す」である。このことから大乗の修行は、自己満足追求の生活を放棄することであり、無所得・無所悟(ただ生かされて生きている尽十方界真実人体)の修行を実践することである。
    これに対して「小乗(声聞・縁覚)」の行は、自分のさとり(理想)を求める(有所得)行であり、自己満足追求の行である。
    従って小乗仏教では「成仏」が理想であるが、大乗仏教では「仏」は理想ではない。
    何故なら全てのものは、仏(尽十方界真実)しているからである。
    全てのものが唯仏与仏・本来成仏なのである。
    また「釈迦」の捉え方についても、大乗仏教では、釈迦は尽十方界真実そのものを象徴し、釈迦は釈迦牟尼仏(尽十方界真実)を修行して釈迦牟尼仏になったとする。
    ところが小乗仏教では、あくまで釈迦という聖人(人間)の「求道」ということに止まっている。
    つまり大乗仏教の基本的信仰は宇宙のありとあらゆるものは「仏光明(大自然の恩寵)」に輝いているということであり、「光明(尽十方界真実)」が大乗仏教成立の根本的契機となっている。
    ところで仏教史において、小乗から大乗への転換の根本的契機になったのは、人間のからだの偉大性・尊厳性の発見、即ち尽十方界真実人体の再発見だと言われている。

    なお『法華経』等の経典に「一乗」、「一乗法」、「一仏乗」という言葉が表われているが、基本的に大乗と同義である。既述のように、「一」は「無他」の義即ち「全体」の意である。
    例えば「十方仏土中唯有一乗法(『法華経』方便品)という言葉の意味は、「尽十方界はすべて真実」であるということである。
    これを内山老師は「どっちへどう転んでも御命オンイノチ(尽十方界真実)」と訳されている。
    また「唯有一乗法、無二亦無三」も同じことである。
    要するに真実は尽十方界(大自然)そのものであり、人間の側から何も言うことのできるものではない。
    常に尽十方界真実の中に居て、絶対にその外に出られないので、尽十方界真実を眺めて云々できない。
    即ち尽十方界真実は人間がこれを定義したり規格を作ったりできるものではない。
    我々は尽十方界真実人体の生命活動の中で人生のすべてを営んでいる(常楽我浄)ということである。

2017年2月7日火曜日

三界唯心(三界唯一心)

われわれが住んでいる世界(欲界・色界・無色界)は、たった一つの心と理解する事が出来る。

心というものを離れて、別の実在というものは存在しない。心と、真実と、衆生の三
つのものは、区別する事が出来ない。 我々の住んでいる世界の内側も、外側も、中間
も、あるいは我々自身を基準にするならば、 自分自身の内側も、外側も、中間も、

あるいは過去・現在・未来のどの時間においてもすべて欲界・色界・無色界と言う
三種類の世界の中に入ってしまう。 

01
釈迦は言った、
三界唯一心、心外無別法(三界は唯一心にして、心外に別法無し)
心仏及衆生、是三無差別(心仏及び衆生、是の三に差別なし)
世界はただ心の現れである、心のほかには何もない。心と仏と衆生、
この三つに差別はない。
この一句の言葉は釈迦が一代の全力を挙げて言われたものである。一代の力を挙げて
説いたものである。たとえ強引なものであっても、ありのままに述べたものである。
このようであるから、この釈迦如来が説く「三界はただ心の現れである」とは、
釈迦の心のすべてが現れているのだ。釈迦の全一生はこの一句に現成している。
三界とは全世界である、しかし三界が衆生の心そのものだというのではない。
その理由は、心が八面玲瓏と透き通っても、三界を離れない。心は因果の世界から
離れていると強いて思おうとしても、それは錯覚であり、またそうはいかない。
どの空間の現象も、どの時間の現象も、みな欲、色、無色の三界から離れてはいない。


02
この三界はここに見るごとくである。三界はもともとあるものではなく、現世でもない。
三界はあらたに現われる者でもない。三界は因縁によって生じているものではない。この三界
は時間として生起するものではない。迷悟を解脱した境地も、今この三界にある。
この境地は仏性のはたらきと覚者の心の働きとが出会い、葛藤が葛藤をからんで
成長しているのだ。今この三界にあるという境地は、三界の姿そのものである。
ここに言われている姿は、釈迦が三界において見る姿である。
釈迦は三界の真実と一女如となって解脱している。これこそ「三界のすべては是我が
所有なり」である。

≪正法眼蔵 三界唯心≫      

偉大な師匠である釈尊が言われた。   
我々が住んでいる世界(欲界・色界・無色界)は、たった一つの心と理解する事が出来る
。心というものを離れて、別の実在というものは存在しない。心と、真実と、衆生の三
つのものは、区別する事が出来ない。 我々の住んでいる世界の内側も、外側も、中間
も、あるいは我々自身を基準にするならば、 自分自身の内側も、外側も、中間も、あ
るいは過去・現在・未来のどの時間においてもすべて欲界・色界・無色界と言う三種類
の世界の中に入ってしまう。 
ではその欲界・色界・無色界と言う三種類の世界はどんな世界かと言うと、我々が現に
見ているありのままの世界そのものである。


■「三界唯心」の「三界」とは欲界・色界・無色界と言う三つの世界を言います。
「欲界」とは、通常は欲望の世界と考えられていますが、意欲の世界、頭で考えられた
世界と理解すべきではなかろうかと考えます。
「色界」の色とは、ル-パと言う物質を意味する言葉ですから、物質の世界、物の世界
と理解すべきではなかろうかと考えます。
「無色」とは、物質の世界を乗り越えた世界と言う事で、従来は精神の世界、心の世界
と考えられていました。 
この三界の他に「法界」と言う言葉を加えまして、この四つの世界を仏教特有の考え方
である「四諦」の考え方に割り当てますと理解がしやすくなります。

苦――欲界(意欲の世界)・集――色界(物質の世界)・滅――無色界(行為の世界)・道-
法界(宇宙全体) 

「三界唯心」の巻も、仏教哲学の一番基本にあるところの、我々の主観と周囲を取り巻
いている客観との相互関係がどうなっているかと言う事の説明と、こういうふうに見る
事が出来る訳です。 
                          (正法眼蔵提唱録 西嶋 和
夫 著より)

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はじめに
「三界唯心」なる語句が、道元禅師の仏法を的確に表
現するものであることは、『正法眼蔵抄』中第一現成公案より第十
五光明までに限つて見ても、十五巻中十三巻六十七箇所にこの語句
が見られ、また三昧王三昧の巻の『経豪抄』に、「祖門ノ心ハ、三界
唯心ヲ以テ為レ心ユヘニ……」とあることによつてもそのことが裏
付けられるのであり、「三界唯心」を正しく捉えることが『正法眼
蔵』(以下『眼蔵』と略す)における心の正しい理解につながるもの
と考えられる。禅師は『眼蔵』中一巻を三界唯心の巻として「三界
唯心」の説示にあてられている。ここには三界と心との関係につい
て、(一)三界即心(二)三界は心にあらず、三界は三界なりという内
容を持つた、一見矛盾する二つの表現がなされている。「三界唯
心」と言えば、壁頭にも引用されているように『華厳経』にその語
は発し、インドにおいてその唯心思想を発展体系づけたのは、喩伽
行派の唯識説である。『眼蔵』の研究は、ともすると禅師の仏法の特
異性が強調される傾向にあるが、この小論では、華厳・喩伽の思想
とも比較しながら、先の(一)(二)の二つの表現を手がかりとして、『眼
蔵』における「三界唯心」を、比較的観点より捉えてみたい。
(一) 三界即心-『眼蔵』において「唯心」とは、ただ心のみという
ことであつて、心の外に別に三界が有るのではなく、三界が即ち心
にほかならないとされる。それゆえ、有慮知念覚のみが心ではなく、
無慮知念覚・矯壁瓦礫・山河大地も、また青黄赤白・長短方円・生
死去来・年月日時等も心であると説かれる。『経豪抄』では、これ
だけに限らず、百千無量の詞をあげて心と談ずべきであると言つて
いるが、このことは、一切法が心であるということであり、この種
の表現は、『眼蔵』の各所に見られるものである。
ところで『華厳経』の唯心説では、次に述べる喩伽行派の唯識説
とは異なり、四大種の存在を認め、それが認識されうるのは心の虚
妄分別によると説かれるのである。
また、喩伽行派の論書の『摂大乗論』に、「青黄赤白これ心なり、
長短方円これ心なり」等の『眼蔵』の表現を想起させる、身識・身
者識・受者識等の十一識が説かれるが、これは、アーラヤ識より十
一識が顕現することを述べているのであつて、識の差別は一切法の
差別を表わしており、一切法即ち心であるという『眼蔵』の表現と
非常によく似ている。しかし、識(心)のほかに境(三界)の存在
を認めてはおらず、この立場に立つて十一識が説かれるのである。
『眼蔵』においては、『華厳経』の四大種の存在を認め、それが
認識されうるのは心の虚妄分別によるという説、あるいは、単に心
のみが有り、三界は心より顕現(pratibhasa)したものであつて実
在するものではない(唯識無境)という喩伽行派の説とも異なり、
心と言えばすべてが心であり、三界が存在しない(無境)のではな
く、「三界即心」なのであつて、両者は明らかに異なつている。
三界は心にあらず、三界は三界なりi「三界即心」ではあるが、
三界と心という二つのものがあつて、それが「即」であると言うの
ではない (三界は心にあらず)。三界という場合にはすべてが三界
であり(三界は三界なり)、心という場合にはすべてが心である。
ここには主観(心)と客観(三界)の関係はなく、三界が三界それ自
身を見ることが正しい三界の捉え方であると述べられている。三界
が三界を見るということは、換言すれば、心が心を見るということ
でもある。三界が三界を見、心が心を見るのであるから、もはや客
観としての三界、主観としての心ではない。主観客観を離れ、三界
を如実に捉えるということである。そして、この三界は、仏の身体
そのもの(「如来の我有」)であると説かれる。如実に捉えられた三
界が、仏の姿そのものとなるのである。それゆえ、矯壁瓦礫等及び
過現未の三世、即ち一切法が仏そのものであり、それが即心である
とするならば、それは仏心であると言える。
次に、『華厳経』の唯心偶を解釈して、山口益博士は、無量無辺
の有情界は心の顕現であり、有情界の顕現が仏の証悟の質料因とな
ると述べられているが、このことから、有情界の顕現が仏の証悟そ
のものと考えてよいであろう。この点において、心仏衆生の三者は
無差別と言われるのであり、これは、三界は即ち心であり、その三
界は仏そのものであるとする道元禅師の説に通じるものがある。
また喩伽行派の『中辺分別論』において、凡夫は識より顕現した
所取能取(grahya-grahaka)を実在するかの如く執著しているので
あるが、この二取の執著を離れたのが空性(sunyata)であると説
かれる。その空性においても虚妄分別即ち識は依他起性であるから
縁起的に生起している。しかし、所取(境)の無により能取(識)
は無となり、単に識は有としての面のみではなくして、無としての
面も持つている。これらのことが知られ得るのは聖者(仏)であり、
聖者は智(prajna)によつて如実に依他起性を見るのである。喩伽
行派においても、上田義文博士が述べられているように、主観客観
対立の思惟を脱し、ものをそのものの内から見るということによつ
て有るがままに見るということが説かれるのであり、そのように万
物を見ることが真如を知ることであり、諸法の実相を見ることなの
である。この点は『眼蔵』においても、「三界は三界の所見のごと
し」という表現によつて説かれており、『聞書』では明らかに「三
界唯心」と「諸法実相」とを同じ意味として用いている。
むすび-以上『眼蔵』の三界唯心の巻の唯心ということと、『華
厳経』の唯心説及び喩伽行派の唯識説とを比較しながら考察してき
たのであるが、日で述べたごとく、三界唯心の意味が両者の間にお
いて異なるのは、川田熊太郎博士が述べられているように、「唯心」
は喩伽行派においては最も重要な主張ではなく、『華厳経』におい
ても第六地の説であり、修行の過程におけるものであるが、これを
道元禅師は不十分なものとは見ず、仏法を十分に表現したものであ
るという立場より解釈されているからである。しかし、見たご
とく、両者に類似した点があるのは、後者に説かれている内容が究
極の立場、即ち仏の立場からのものである場合にそうであつて、こ
のことは、禅師の説示が仏(本証)の立場より常になされているこ
とを意味するものである。これまでの研究において、他の大乗仏教
の唯心説とは異なるという点のみが強調される傾向にあつたのは、
一方は本証の面から、他方は証への過程として「唯心」ということ
が説か酒ているという、その違いが明確にされていなかつたためと
思われる。しかし、その違いを除けば、両者の説は究極の所におい
て、むしろ非常に類似した内容を持つたものであると言うことがで
きよう。

2017年2月3日金曜日

身心学道の巻

02
仏道を学ぶに、まず2つのことがある。いうところの心を持って学び、身を持って学ぶのである。
心をもって学ぶというのは、あらゆる諸所の心をもって学ぶのである。その諸所の心とは
質多心、汗栗駄心、い栗駄心、である。また、衆生の心に仏の心が感応して、菩提心
を起こしたのちに、覚者の大道にしたがい菩提心のなす行いを学ぶのである。



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永平高祖道元禅師は主著「正法眼蔵」の中に「身心学道」の一巻
を著わし、仏家修行者の真実の学道について説示しておられる。
学道と云うならば、平常は心の学道の如く考えられ、学道その物
をして心の成長、発展の問題と結びつけて人格の統治とする様に思
考せられておるけれ共、道元禅師は、真実の学道とは身の学道であ
る。いうならば、身心の学道でなければならぬとしている。従って
禅師の学道とは、仏祖の行李を学習することにあるのであって、身
心両面の不二一体の参学を示しているのである。「身心学道」の冒
頭仏に、
道は不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり、南獄
大慧禅師のいはく、修証はなきにあらず、汚染することえじ、仏
道を学せざれば、すなはち外道・閲提等の道に堕在す、このゆえ
に前仏後仏かならず仏道を修行するなりと示されて、

仏道修行の功に酬いて、証を得るのではなく、あくま
でも不汚染の修証でなければならない。修行をして不待、証を不期
修行と参学せねばならない事の、本証妙修の真随を説示されたもの
である。これは、本覚門的修証観に立つ道元禅師の教えが非常に解
りやすく如実に知見し得る所である。

さて、今ここに引用の本文であるが、仏道に不道、不学という言
葉があるけれ共、仏道とは、大道を離れようとしても所詮離れられ
ざる、一切処一切時が道なる故に迷うても、悟っても仏祖の大道を
出ずるものではあり得ない。云うなれば「修証はなきにあらず」は
修証一等、或は修証不二の本覚門的修証観を示し、「染汚すること
をえじ」は、不染汚の修証を云っているのである。対待なき真実の
学道を云うのである。

従って、禅師からすれば、修といっても証と云っても一方究尽で
あって、一方証すれば一方はくらし、の如く修の時は修のみにて他
方は一法もあり得ない。尽法界修の一元となる。不染汚の修証、つ
まり身心不二であって仏祖道における真実の学道とは、かかる身心
の学習を云うのであって、衆生の立場を修行の出発的とすれば、見
性待悟の禅となり、仏の立場より修行すれば道元禅の修行となるの
である。祈発心より現成公案にあって迷惑せず。顛到せざる自己を
看取せよの立場である。
衆生を仏に変らすと云うのではなく、無限に仏を証しもていくの
である。

禅師が已下に示される身心学道の全文も、かかる修証観から拮提
されるのであって、一元的もの呉見方、捉え方が明確である。道元
禅師の仏法の真随を示すものはかかる全一的かつ何物にも捉われず
又束縛を受けず、自受用三昧を行くもので、遍界無障である。従っ
てここでは、心学道のみの参究に止めるが、身学道としても全くこ
のことは何ら異るものではない。つまり心学道と身学道は二つのも
のではなく、本来一つのものを説示する上に二つに分けて説いてい
るのである。身心は不離不待であって、身心が二つならば、心常相
滅の邪見とえらぶ所はない。本証妙修に立つ禅師が、かかる二元観
に立つことはあり得ない。

禅師が「心をもて学し、身をもて学すなり」と云っているのも、
凡夫の具足せる慮知念覚の心を似って学ぶ法とか、或は繊身仏道を
修行するのではなく、心は即ち身であるから、只身心学道と名付け
たる為に、心の学、身の学と云うのであるが、「以法界を学し、以
眼学し、以耳学し、以山学し、以見学し、以水学すとも無尽に云う
べきなり、しかしてこの身則学なり、此心則学なり」なのである。
身とは学であり、心とは学なのだとされる。身と学とを初り離し
て考えるのではなく、心を学と二別せず、尽十方界を」穎の明珠と
して心一元に生きること、その時に自己は学としての身になり切り
心としての学になり切っている。

従ってそれは心に徹底して生きること、それ自体が学なのであるとなる。
従って禅師が「あらゆる諸心をもて学すなり」と云っても、諸心とは仏心
を云っているのであって、質多心も汗粟駄心も皆我らが日頃具足したる
心を云っているのではない。
帰依とは心の外の何物でもないのであるから、前も後
も習心なのであって、前後ありとはならない。菩提心の行李とは菩
提心を発す為の行李を云うのではなく、自性清浄の自己の本心のめ
ざめを云うのである。いわば、慮知心と菩提心の二心があるのでは
なく、仏心の具体的現実相を慮知心としているのであるから、菩提
を行ずることの上には、慮知心も衆生心もなく皆菩提心なのである
しかし乍ら、この発菩提心は末だおこらずとも、菩提心をおこせ
し仏祖の法をならふことが、発菩提心であるとしている。そして菩
提心とは赤心片片であり、古仏心であり、平常心であり、三界一心
であるとされる。

そして、これらの心を放下し或は拮挙して学道する。それは心の
上に思量すとも不思量すとも、尽十方界が心の究尽せる時節におい
ては心の一元であるから、非思量と云うも同じことなのだとされる
のである。つまり、心をもって放つとも拮挙 (とる) とも云うもそ
の心地は、云うなれば心のありようを云うのである。その心の具体
的姿としては、剃髪染衣も釈迦老子の王城を捨て檀特山に入山せる
姿も皆[心と心得るべきなのである。即ち、尽十方界にあらゆる一
全てが心に外ならず、心外無外法の心地をかくの如く説いているの
である。山に入る事、それは山と入とのあはひとしてみるならば、
入山は世の所捨であって、これを非思量と心得るべきであり、又山
からみれば、所入なる山も所捨と同格であって、紅櫨上の調度なの
である。つまりは、思量箇不思量底の道理を云い、更に非思量の道
理を云ったものである。参本に「所入所捨、斎挙頭兀兀地と」は、
これを示すと考えられる。

その心は無辺際であって眼晴に団し来たる業識に弄し来たるを、
暫二一二斜とも千万端と云うも同事で、不依数量なるのである。以
の道理を眼晴とも業識と云うとも、それが真諦俗諦両門と区分して
受けるべきではない。要は、学道を指すのであって二三斜千万端は
学道を云うのであって、数量を示すのではない。心の参学に徹し切
ること自体は尽界心一元、自己が徒らに凡夫としての一人間ではな
く、尽法界の中に自己を帰し、自己に尽法界を帰すことなのである
から、そこは無辺際であって、数量真俗の区別観は存し得ないので
ある。

光明の巻

「光明」という概念は「光明思想」として
位置づけられており、思想的な展開を示している概念である。その点、重要な
思想展開の基本。

07
明々たる光明は森羅万象である、森羅万象の光明と言えば、すべての草草の根と
言わず茎と言わず枝と言わず葉と言わず、花の光色も、光明であるほかはない、
自然の自性はそのまま光明であるほかはない。地獄道、餓鬼道、畜生道、人間道、
天に光明がある、修羅道に光明がある。これらの諸世界がどのようであるかを、
一切は巧妙であるほかはないと説いているのである。それは、どのように山河大地
を生ずるかを言うのである。光明の放光は山河大地の生と等しいのだ。
長沙がいう「尽十方界は、是自己の光明である」の言葉を、審らかに学ばねばならない。
光明こそが自己の尽十方界であることに学ばねばならない。







ーーーーーーーーー

尽十方界の語を駆使して、仏法を表現した有名な語句が『正法眼蔵』「光明」巻に採り
挙げられており、以下にそれらの語句を紹介してみる。
尽十方界是沙門の全身
尽十方界の真実に忠実な修行、即ち自我を超えた生命の在り方を実修実証(坐禅)して
いる沙門(出家僧)にとっては、人生上の苦楽、幸不幸等諸般の事実も、気候の変化等
自然の様相と同様にそのまま素直に受け入れる。
人生上(自我世界)の諸般の事実を超越して大自然に生きて、尽十方界真実規模の人生
を全うする。

「大自然にあっては、どのようなことがあっても当り前」(後述「平常心是道」)であ
り、天災地変等も人間世界において問題になるだけである。

尽十方界に生きる沙門には、如何なることがあっても平常底(何とも無し)に過ぎない
。この様に沙門の生活は、この宇宙そのものをそのまま全身としている。

尽十方界是沙門の家常カジョウの語
我々が生きている事実が大自然そのものの姿である。
出家の生活は、尽十方界がその規模であり、彼の日常生活(「家常」)の活動全てが、
尽十方界真実の実践(自己満足追求の放棄)であり、宇宙そのものの表現である。

尽十方界是沙門の一隻セキ眼
出家の生活(眼)は尽十方界を規模としている。即ち身体は大自然そのものであり、自
分の所有物ではない。
自我意識に引っ張り回されず、個人的なもの一切を超えて、宇宙の真実を実修し実証す
るのが仏道修行者であり、それが沙門である。

本来の大自然のあり方に忠実に生きるのが出家者の在り方である。

尽十方界是自己の光明
自己の存在(身体)は宇宙・大自然そのものである。大自然の光明(恩寵)により、我
々は生かされて生きている。これを「尽有光明」とも言う。
尽十方界一人として是自己に非ずということなし
我々にとって、この世界のありとあらゆるものは、如何なるものであろうと身内(親密
な関係)で無いものは何一つない。
常に全ては自己の全身であり、誰でも尽十方界真実を生きている。自他の対立なし。
ーーーーーーーーーーー



「仏祖の光明は、尽十方界なり。尽仏尽祖なり。唯仏与仏なり。仏光なり、光仏なり
。仏祖は仏祖を光明とせり。この光明を修証して、作仏し、坐仏し、証仏す」「尽十方
界これ自己の光明なり。尽十方界は自己の光明の裏にあり。尽十方界、これ一人の自己
にあらざるなし。仏道の参学、かならず勤学にすべし。転疏転遠なるべからず。」
「明明の光明は百草なり。」
「尽十方界は是自己なり、是自己は尽十方界なり。」
「人々ことごとく光明の在るあり。」
 この巻は仁治三年六月二日、興聖宝林寺において、三更四点といいますから、夜の十
一時半過ぎに修行僧達に説かれたものであります。時は梅雨期旧暦六月、外はしとしと
と降る雨の音、軒先よりしたたり落ちる滴水の音が道元さまの説示の声とともに聞こえ
てまいります。
なぜ道元さまはこのような夜中に僧を集めて、この光明の巻を説かれたのでしょうか。
十一時半といえば陽の終わりの時間、陰の始まろうとする時間であります。なにか象
徴的なものを感じさせるものがあると思われます。世の中は陰と陽に分けられます。そ
して光明は陽であります。人間は陰から陽に向かって進むのが常であります。そしてお
釈迦さまはじめ歴代の祖師方は全て陽であり、光明を放っておられました。目に見えな
い光、エネルギーを持っておられました。例えばお寺におまつりされている仏さまには
後背があり、光の輪がありますが、これが光明であります。

 道元さまは「仏さまやお祖師さまの光明というのは一切世界のことであり、一切世界
は佛であり、佛は真理の体現である。それは光明であり、光明を放っている。悟りをひ
らかれた仏祖はすべて光明である。光明が光明に、仏が仏に仏法を伝えて来たのである
。この光明を体現するために修行するのである。」と言われ「一切世界は自己の光明で
あり、自己の光明の内にある。一切世界のものごとで自己でないものはなく、自己即一
切世界、一切世界即自己である。悟りを求めようとするものは怠けることなく勤勉に学
習し修行すべきである。」「光り輝く光明は百草であり、百草とは一切世界である」そ
して「だれしも人々には光明があるのだ」と説かれました。

 例えばお釈迦さまには多くの弟子がありました。そのお弟子さんはお釈迦さまの姿を
一目拝むだけで自然に引き寄せられ、法を聞く前にすでにその弟子になっていたとさえ
言われます。永平寺や総持寺の禅師さまがお授戒会などにお越しになり、そのお姿に接
するだけで自然に手が合わさるものです。これが光明であり、よく言われる「オーラ」
というものでしょう。禅師さまから目に見えないエネルギーが出ているのであります。
道元さまはじめ各宗の開祖さまにも、この光明が放たれていたのであり、陽気が放たれ
ていたのであります。

 道元さまは一切世界が光明を持っており、それぞれがあるがままに真理を現している
といわれ、光明を放っていると説かれました。
 例えば現代社会においても、繁栄する会社は社長さんが陽であり、光を放っているも
のであります。トップが暗く陰気であれば自然にエネルギーがなくなり、会社は衰退す
るものであります。家庭でも社会でも同じことが言えるでしょう。トップがしっかりし
て光明を放っていることが国栄え、社会や家庭が繁栄することになるのであります。し
たがってこの光明を放つように指導者をはじめ世の人々はだれしも精進しなければなら
ないのであります。

 正法眼蔵一顆明珠の巻にも「全身これ真実体なり・・全身これ光明なり」という言葉
がありますが、光明はだれしも持っているものであり、これを本来の面目といい、仏性
といいます。光明を顕現させ、諸仏諸祖の光明と一体化しなければなりません。道元さ
まは当時宇治で修行しておりました修行僧に対してこの巻を説示されたのではあります
が、このことは現代社会に生きる私たちも心しなければならないことであります。




ーーーーーーーーーーーー

今回は永平道元禅師によって口述され、狐雲懐弉(建久九[1198]年~弘安三[1280]年)に
よって書写されたと言われている『正法眼蔵』の「第十五巻の光明」の巻より「生死[
しょうじ]去来[こらい]は光明の去来なり」を中心に『形而上学の道』を探っていきた
いと思います。
それは、[生死去来は光明の去来なり。超凡越聖[ちょうぼんおっしょう]は、光明の藍
朱[らんしゅ]なり。作仏[さぶつ]、作祖[さそ]は光明の玄黄[げんおう]なり。修証はな
きにあらず、光明の染汚[ぜんな]なり。草木牆壁[しょうへき]、皮肉骨髄、これ光明の
赤白[しゃく、びゃく]なり。烟霞水石[えんかすいしゃく]、鳥道玄路、これ光明の廻環
[ういかん]なり。自己の光明を見聞するは値仏[ちぶつ]の証験なり、見仏の証験なり。
尽十方界は是自己なり。是自己は尽十方界なり。廻避[ういひ]の余地ある、べからず。
たとえ、廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。而今[しきん]の髑髏七尺、すなわち
尽十方界の形なり、象[しょう]なり。仏道に修証する尽十方界は、髑髏形骸[けいがい]
、皮肉骨髄なり。(生死去来は光明ですし、光明は生死去来なのです。光明の青や赤が
凡人や聖人からの超越となりますし、光明の黒や黄が諸仏や仏祖となるのです。修証と
は光明の染汚に他なりません。光明の赤や白が草木や土壁、身体の皮肉骨髄と現成しま
すし、光明の往還の内こそが、靄やかすみ、水や石、渡り鳥の飛ぶ道なのです。自己の
光明、それは自身仏となりますし、その体験となるのです。全世界は自己ですし、非自
己も全世界なのです。このように肯定すなわち否定という原理のすべては全世界に貫徹
していると言えるのです。たとえ避難すべき地にあろうとも、それも悟りへの道とつな
がるのです。今この身体こそが、それはそのままでも全世界の姿、形なのです。全世界
が自己の身心であるということこそが、仏道修業、悟りへの道となるのです)。」と。
そして、光明の染汚すなわち修証とは修証不二のことです。修証不二すなわち修証一等
とは只管打坐そのものなのです。実は光明の去来すなわち生死去来こそが正法眼蔵涅槃
妙心そのものなのです。また、この正法眼蔵涅槃妙心の人こそが超凡越聖の人と言える
のです。さらに、人が人として生きる目的とは実は諸仏や仏祖になることを言うのです
。その上で全世界すなわち自己ですから、自己こそが全世界と言えるのです。つまり、
この自己すなわち身心一如こそが正法眼蔵涅槃妙心の現成に他ならないのです。

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『正法眼蔵』における光明について(粟谷) 
論題に示した「光明」という語は、仏典ハ・祖録において頻
繁に用いられており、仏教とは非常に縁の深い言葉である。
インドに仏教が創始されて以来、中国仏教、日本仏教におい
ても頻出する言葉であり、何か教理的な背景のあることを示
唆しているようにも思われるのである。言うまでもなく、イ
ンド仏教における「光明」という概念は「光明思想」として
位置づけられており、思想的な展開を示している概念である
と言ことができる。
イソド仏教において展開した「光明思想」は、その後、中
国や日本において如何なる経緯で展開して行ったのであろう
か。筆者においては大いに関心を抱かせる問題である。
日本曹洞宗の開祖である道元は、著書『正法眼蔵』におい
て、特に「光明」の巻を著しており、仏教が伝えてきた「光
明」に対して強い関心を抱いていたことを窺い知ることがで
きる。特に「光明」の巻ばかりではなく、著書『正法眼蔵』
の処々に「光明」の語を用いた記述を多く見いだすことがで
きる。このことは、道元の思想の根底に「光明」の概念が組
み込まれているであろうことを強く予想させるものである。

そこで、本論文においては、特に『正法眼蔵』に限定し
て、道元が「光明」について如何なる見解を有していたかを
論じることにしたい。まず、道元は、『正法眼蔵』において
「光明」の概念を如何なる典拠に基づいて述べているかにつ
いて述べ、次に、道元が「光明」に対して如何なる解釈を展
開しているかについて述べることとする。

二
まず、道元が用いている「光明」の典拠についてである
が、『正法眼蔵』中、「光明」の巻に三箇所、その他の巻に三
箇所、それぞれ典拠を明確にして「光明」の語を引用してい
る箇所を指摘することができる。すなわち、『正法眼蔵』中、

(1)大宋国湖南長沙招賢大師、上堂示衆云、尽十方界、是沙門
眼、尽十方界、是沙門家常語。尽十方界、是沙門全身。尽十方
界、是自己光明。尽十方界、在自己光明裏。尽十方界、無一人
不是自己。(光明、道元禅師全集上一一六頁)
(2)雲門山大慈匡真大師は、如来世尊より三十九世の児孫なり。
法を雲峯真覚大師に嗣す。仏衆の晩進なりといへども、祖席の
英雄なり。たれか雲門山に光明仏の未曽出世と道取せん。ある
とき、上堂示衆云、人人尽有光明在、看時不見暗昏昏、作麿生
是諸人光明在。衆無対。自代云、僧堂・仏殿・廣庫・山門。
(光明、道元禅師全集上一一九頁)
(3)張拙秀才は、石霜の俗弟子なり。悟道の碩をつくるにいは
く、光明寂照遍河沙。(空華、道元禅師全集上一一二頁)
(4)唐憲宗皇帝は、穆宗・宣宗両皇帝の帝父なり。敬宗文宗
武宗三皇帝の祖父なり。仏舎利を拝請して、入内供養のちなみ
に、夜放光明あり。皇帝大悦し、早朝の群臣、みな賀表をたて
まつるにいはく、陛下の聖徳聖感なり。ときに一臣あり、韓愈
文公なり、字は退之といふ。かつて仏祖の席末に参学しきたれ
り。文公ひとり賀表せず。憲宗皇帝宣問す、「群臣みな賀表を
たてまつる、卿なんぞ賀表せざる。」文公奏対す、「微臣かつて
仏書をみるにいはく、仏光は青黄赤白にあらず。いまのはこれ
龍神衛護の光明なり。」皇帝宣問す、「いかにあらんかこれ光明
なる。」文公無対なり。(光明、道元禅師全集上一一七ー一一八
頁)
(5)第十祖波栗湿縛尊者は、一生脇不至席なり。…・: 中略……尊
者の在胎六十年なり、出胎髪白なり、誓不屍臥、名脇尊者。乃
至暗中手放光明、以取経法。これ生得の奇相なり。(行持上、
道元禅師全集上一二四頁)
(6)長沙いはく、尽十方界、真実人体。尽十方界、自己光明裏。
(諸法実相、道元禅師全集上三七一頁)
と示される箇所であり、都合、六箇所において「光明」の語
が典拠を明記して引用されている。まず、とに示した箇
所では長沙景券に典ハ拠を求めており、『景徳伝灯録』巻第十
の長沙景雰章(大正蔵第五十一巻二七四頁上)に基づいた引用
であると思われる。次に、に示した箇所では雲門匡真に典ハ
拠を求めており、『円悟仏果禅師語録』巻第十九(大正蔵第四
十七巻八〇三頁上)からの引用であると思われる。次に、に
示した箇所では張拙秀才に典拠を求めており、『聯灯会要』
巻第二十二(卍続蔵第一三六冊三九七左上)からの引用である
と思われる。次に、に示した箇所では憲宗皇帝と韓愈文公
の問答に典拠を求めており、『宗門統要集』巻第七(三十三
裏)からの引用であると思われる。そして、に示した箇所
では第十祖波栗湿縛尊者の伝記に典ハ拠を求めており、『止観
輔行伝弘決』巻第一之一(大正蔵第四十六巻一四六頁上)からの
引用であると思われる。

このように、『正法眼蔵』では五種の出典より「光明」の
語を引用しており、伝統的に広範囲に「光明」の語が用いら
れていたことを示唆している。すなわち、複数の典拠を明記
することにより、教理的に「光明」の語が重要な概念を示す
言葉であることを暗示しているものと思われるのである。ま
た、道元が複数の典ハ拠を明記して「光明」の語を引用してい
るということは、その背景に道元の意図が看取されるのであ
り、強く訴えなければならなかった当時の時代的な趨勢を感
じ取ることができるのである。

三
道元が明記して引用している「光明」の典拠は以上の五種
六箇所なのであるが、前にも述べたように、イソド仏教以
来、中国・日本においても「光明」の語は多く用いられてい
る。以下、この問題について少しく言及しておくことにす
る。まず、『正法眼蔵』「光明」の巻には、
震具国後漢の孝明皇帝、帝誰は荘なり、廟号は顕宗皇帝とまう
す。光武皇帝の第四の御子なり。孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰
の年、摩騰迦・竺法蘭、はじめて仏教を漢国に伝来す。焚経台の
まへに、道士の邪徒を降伏し、諸仏の神力をあらはす。それより
のち、梁武帝の御宇、普通年中にいたりて、初祖みつから西天よ
り南海広州に幸す。これ正法眼蔵正伝の嫡嗣なり。釈迦牟尼仏よ
り二十八世の法孫なり。ちなみに嵩山少室峯少林寺に掛錫しまし
ます。法を二祖大祖禅師に正伝せりし、これ仏祖光明の親曽な
り。それよりさきは仏祖光明を見聞せるなかりき。いはんや自
己の光明をしれるあらんや。(道元禅師全集上一一六頁)
とあり、仏教が中国へ伝来された状況について記述されてい
る。この中で、永平十年に中国へ仏教が伝来されたと述べて
いるのであるが、「正法眼蔵」が中国へ正伝されたのは菩提
達磨の西来を最初としているのである。また、中国における
「仏祖光明」の伝来についても菩提達磨を最初としているの
である。そして、更には「法を二祖大祖禅師に正伝せりし、
これ仏祖光明の親曽なり、それよりさきは、仏祖光明を見聞
せるなかりき。いはんや自己の光明をしれるあらんや。」と
述べており、永平十年に仏教が中国に伝来されたにもかかわ
らず、達磨が中国に渡来するまでは中国において「仏祖光
明」は伝来されていなかったことを赤裸々に強調しているこ
とが理解されるのである。すなわち、このことより、道元の
求める仏教とは、「正法眼蔵」であり、「仏祖光明」であると
言うことができる。
道元が述べている「光明」とは、この箇所を見る限り、勿
論、「正法眼蔵」のことではあるが、「仏祖の光明」と「自己
の光明」との二種に言い表される「光明」であると言うこ
とができる。このうち、「自己の光明」は道元が長沙の言葉
として引用している典拠の中に見いだすことができる。しか
し、「仏祖の光明」については道元が引用している典拠の中
には見いだすことができない。このことより、「仏祖の光明」
は、長沙の「自己の光明」に基づいた道元の解釈とも予測す
ることができる

ずれにせよ、道元の主張する「正法眼蔵」
としての「光明」は、「仏祖の光明」であり、「自己の光明」
であると言うことができる。

道元の主張は「仏祖の光明」と「自己の光明」にあると述
べたのであるが、道元は、この二種に言い表された「光明」
に対する誤った解釈を紹介し、その誤った解釈に対する厳し
い批判的な見解を主張している。特に「仏祖の光明」につい
ては、『正法眼蔵』「坐禅箴」の巻において、
仏祖の光明に照臨せらるるといふは、この坐禅を功夫参学するな
り、おろかなるともがらは、仏光明をおやまりて、日月の光明の
ごとく、珠火のごとくあらんずるとおもふ。日月光耀は、わつか
に六道輪廻の業相なり、さらに仏光明に比すべからず。(道元禅
師全集上九六頁)
と述べており、「おろかなるともがら」の誤った解釈に対す
る道元の批判的な見解が展開されている。誤った見解とは
「仏祖の光明」を「日月の光明」ないし「珠火の光耀」と解
釈することであり、このような解釈に対し、「六道輪廻の業
相」と述べて厳しく批判している。すなわち、この箇所よ
り、道元は少なくとも「仏祖の光明」を「日月の光明」ない
し「珠火の光耀」とは解釈していないと言うことができる。
また、『正法眼蔵』「光明」の巻では、
転疏転遠の臭皮袋おもはくは、仏光も自己光明も、赤白青黄にし
て、火光・水光のごとく、珠光・玉光のごとく、龍天の光のごと
く、日月の光のごとくなるべしと見解す。或従知識し、或従経巻
すといへども、光明の言教をきくには、蛍光のごとくならんとお
もふ、さらに眼晴頂額の参学にあらず。漢より晴・唐・宋および
而今にいたるまで、かくのごとくの流類おほきのみなり。文字の
法師に習学することなかれ、禅師胡乱の説きくべからず。(道元
禅師全集上一一七頁)
と述べており、「転疏転遠の臭皮袋」などの誤った解釈が指
摘されている。この箇所では、「仏祖の光明」ばかりではな
く、「自己の光明」についても言及されている。まず、「転疏
転遠の臭皮袋の」誤った解釈として、「仏祖の光明」ないし
「自己の光明」を「青黄赤白」の「火光」、「水光」、「珠光」、
「玉光」、「龍天の光」、「日月の光」と解釈する見解であるこ
とを指摘している。更に、誤った見解として、「光明」を
「蛍光」と解釈する見解を指摘しているOそして、続いて、
「漢より晴・唐・宋および而今にいたるまで、かくのごとく
の流類おほきのみなり。」と述べており、仏教が中国へ伝来
した漢代より道元存命の時代に至るまでの間、誤った「光明
解釈」が横行していたことを強く訴えている。

中国では勿論のこと、特に「而今にいたるまで」と述べて
いるところより、道元が著書『正法眼蔵』を執筆していた頃
の日本においても誤った「光明解釈」が横行していたことを
窺い知ることができる。その批判の対象として「文字の法
師」と「禅師胡乱の説」を指摘しているのであるが、それら
が具体的に誰を指すかは明記されていない。また、「光明の
言教」という指摘であるが、この表現は単なる「光明」の言
葉のみを指しているのではなく、教理学的な背景を有してい
る「光明」としての教えを指して述べているように受け取る
ことができる。具体的に何を指しているかは不明であるが、
道元の心中においては具体的なターゲットが銘記されていた
ものと思われるのである。特に「而今」の「光明の言教」と
いうことになれぽ、日本における具体的なターゲットが想定
されることになり、道元の心中穏やかならぬ批判の矛先が秘
められているということになる。
このように、間違った「光明解釈」に対する道元の批判
は、その対象を「おろかなるともがら」、「転疏転遠の臭皮
袋」、「文字の法師」、「禅師胡乱の説」と述べているだけであ
り、具体的なターゲットの名称については残念ながら明記さ
れていない。すなわち、今の時点では、その具体的批判対象
については知ることができない。そのような状況の中で、
「光明」についての具体的な問題として、『正法眼蔵』「光明」
の巻に、
唐憲宗皇帝は、穆宗・宣宗両皇帝の帝父なり。……中略……文公
奏対す、「微臣かつて仏書をみるにいはく、仏光は青黄赤白にあ
らず。いまのはこれ龍神衛護の光明なり。」皇帝宣問す、「いかに
あらんかこれ光明なる。」文公無対なり。いまこの文公、これ在
家の士俗なりといへども、丈夫の志気あり、回天転地の材といひ
ぬべし。かくのごとく参学せん、学道の初心なり。不如是学は非
道なり。たとひ講経して天華をふらすとも、いまだこの道理にい
たらずば、いたづらの功夫なり。たとひ十聖三賢なりとも、文公
と同口の長舌を保任せんとき、発心なり、修証なり。しかありと
いへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり。いはゆる仏
光非青黄赤白等の道、いかにあるべしとか学しきたれる。卿もし
青黄赤白をみて仏光にあらずと参学するちからあらば、さらに仏
光をみて青黄赤白とすることなかれ。憲宗皇帝もし仏祖ならんに
は、かくのごとくの宣問ありぬべし。(道元禅師全集上一一七ー 一一八頁)
と示されている箇所がある。この箇所は、唐の憲宗皇帝と韓
愈文公の問答と道元の拮提を示した箇所であり、憲宗皇帝と
韓愈文公の両者に対して道元の緩やかな批判が示されている
箇所である。特に韓愈文公については「丈夫の志気」、「回天
転地の材」、「学道の初心」と述べて評価を加えており、「光
明」の解釈についても「仏光は青黄赤白にあらず。」と述べ
ている点については一応の評価を加えている。ただ、文公が
「龍神衛護の光明」と述べている点については「仏光をみて
青黄赤白とすることなかれ。」と述べて批判を加えている。
また、憲宗皇帝に対しては文公に対する最後の一言が不足し
ている点を戒めており、彼に対しても完壁な「光明解釈」を
要求している。この箇所より言えることは、第一には「青黄
赤白の光」を「仏祖の光明」と解釈してはいけないというこ
とであり、第二には「仏祖の光明」を「青黄赤白の光」と解
釈してはならないということである。すなわち、道元の主張
は「仏祖の光明」と「青黄赤白の光」とは全く異なるもので
あるという点にある。
ところで、前には「光明」の典拠を明記した出典が五種あ
ると述べたのであるが、道元の主張を考慮するならば、憲宗
皇帝と韓愈文公の問答と第十祖波栗湿縛尊者の伝記について
は道元の主張する「光明」の典拠と言うことはできない。

四
以上、『正法眼蔵』における「光明」についての序論的な
問題に関して述べてきたのであるが、以下の点を指摘してお
くことができる。
第一に、『正法眼蔵』では「光明」の典拠を長沙景零と雲門
匡真と張拙秀才に求めていると言うことができる。第二に、
『正法眼蔵』では「光明」を特に「仏祖の光明」と「自己の
光明」の二種の言い方により主張していると言うことができ
る。第三に、道元の主張する「仏祖の光明」と「自己の光
明」の中国への伝来は菩提達磨を最初としている点を指摘す
ることができる。すなわち、道元は中国に仏教が伝来された
とされている永平十年には正法眼蔵である「仏祖の光明」や
「自己の光明」は伝えられなかったことを主張している。第
四に、『正法眼蔵』では「仏祖の光明」や「自己の光明」を
「日月の光明」、「珠火の光明」、「火光」、「水光」、「珠光」、
「玉光」、「龍天の光」、「蛍光」、と解釈する見解を厳しく批判
しており、そのような見解を「おろかなるともがら」、「転疏
転遠の臭皮袋」、「文字の法師」、「禅師胡乱の説」と述べて斥
けている点を指摘することができる。これは「仏祖の光明」
や「自己の光明」を誤って解釈している事例を示していると
言うことができる。第五に、道元の「光明解釈」は「青黄赤
白の光」を「仏祖の光明」と見誤らないことであり、同時に
「仏祖の光明」を「青黄赤白の光」と見誤らないことである
と言うことができる。
以上の点を指摘することができるのであるが、本論文では
「光明」についての序論的な問題の指摘に留まってしまった。
道元の主張する「仏祖の光明」や「自己の光明」については
別の機会に譲ることする。
〈キーワード〉正法眼蔵、光明、仏祖の光明、自己の光明
(曹洞宗宗学研究所


ーーーーーーーーー

正法眼蔵 第十五 光明

大宋國湖南長沙招賢大師、上堂示衆云、
盡十方界、是沙門眼。
(盡十方界、是れ沙門の眼)
盡十方界、是沙門家常語。
(盡十方界、是れ沙門の家常語)
盡十方界、是沙門全身。
(盡十方界、是れ沙門の全身)
盡十方界、是自己光明。
(盡十方界、是れ自己の光明)
盡十方界、自己在光明裏。
(盡十方界、自己の光明裏に在り)
盡十方界、無一人不是自己。
(盡十方界、一人として是れ自己にあらざる無し)
佛道の參學、かならず勤學すべし。轉疎轉遠なるべからず。これによりて光明を學得せ
る作家、まれなるものなり。
震旦國、後漢の孝明皇帝、帝諱は莊なり、廟號は顯宗皇帝とまうす。光武皇帝の第四の
御子なり。孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰のとし、摩騰、竺法蘭、はじめて佛を漢國に
傳來す。焚經臺のまへに道士の邪徒を降伏し、佛の力をあらはす。それよりのち、梁武
帝の御宇、普通年中にいたりて、初みづから西天より南海の廣州に幸す。これ正法眼藏
正傳の嫡嗣なり、釋牟尼佛より二十八世の法孫なり。ちなみに嵩山の少室峰少林寺に掛
錫しまします。法を二太禪師に正傳せりし、これ佛光明の親曾なり。それよりさきは佛
の光明を見聞せるなかりき、いはんや自己の光明をしれるあらんや。たとひその光明は
頂より擔來して相逢すといへども、自己の眼睛に參學せず。このゆゑに、光明の長短方
圓をあきらめず、光明の卷舒斂放をあきらめず。光明の相逢を却するゆゑに、光明と光
明と轉疎轉遠なり。この疎遠たとひ光明なりとも、疎遠に礙せらるるなり。

轉疎轉遠の臭皮袋おもはくは、佛光も自己光明も、赤白黄にして火光水光のごとく、珠
光玉光のごとく、龍天の光のごとく、日月の光のごとくなるべしと見解す。或從知識し
、或從經卷すといへども、光明の言をきくには、螢光のごとくならんとおもふ、さらに
眼睛頂の參學にあらず。漢より隋唐宋および而今にいたるまで、かくのごとくの流類お
ほきのみなり。文字の法師に學することなかれ、禪師胡亂の、きくべからず。

いはゆる佛の光明は盡十方界なり、盡佛盡なり、唯佛與佛なり。佛光なり、光佛なり。
佛は佛を光明とせり。この光明を修證して、作佛し、坐佛し、證佛す。このゆゑに、此
光照東方萬八千佛土の道著あり。これ話頭光なり。此光は佛光なり、照東方は東方照な
り。東方は彼此の俗論にあらず、法界の中心なり、拳頭の中央なり。東方を礙すといへ
ども、光明の八兩なり。此土に東方あり、他土に東方あり、東方に東方ある宗旨を參學
すべし。萬八千といふは、萬は半拳頭なり、半心なり。かならずしも十千にあらず、萬
萬百萬等にあらず。佛土といふは、眼睛裡なり。照東方のことばを見聞して、一條白練
去を東方へひきわたせらんがごとくに憶想參學するは學道にあらず。盡十方界は東方の
みなり、東方を盡十方界といふ。このゆゑに盡十方界あるなり。盡十方界と開演する話
頭すなはち萬八千佛土の聞聲するなり。

唐憲宗皇帝は、穆宗、宣宗、兩皇帝の帝父なり。敬宗、文宗、武宗、三皇帝の父なり。
佛舍利を拜して、入内供養のちなみに、夜放光明あり。皇帝大し、早朝の群臣、みな賀
表をたてまつるにいはく、陛下の聖聖感なり。
ときに一臣あり、韓愈文公なり。字は退之といふ。かつて佛の席末に參學しきたれり。
文公ひとり賀表せず。
憲宗皇帝宣問す、群臣みな賀表をたてまつる、卿なんぞ賀表せざる。
文公奏對す、微臣かつて佛書をみるにいはく、佛光は黄赤白にあらず。いまのこれ龍衞
護の光明なり。
皇帝宣問す、いかにあらんかこれ佛光なる。
文公無對なり。
いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、丈夫の志氣あり。囘天轉地の材といひ
ぬべし。かくのごとく參學せん、學道の初心なり。不如是學は非道なり。たとひ講經し
て天花をふらすとも、いまだこの道理にいたらずは、いたづらの功夫なり。たとひ十聖
三賢なりとも、文公と同口の長舌を保任せんとき、發心なり修證なり。
しかありといへども、韓文公なほ佛書を見聞せざるところあり。いはゆる佛光非黄赤白
等の道、いかにあるべしとか學しきたれる。卿もし黄赤白をみて佛光にあらずと參學す
るちからあらば、さらに佛光をみて黄赤白とすることなかれ。憲宗皇帝もし佛ならんに
は、かくのごとくの宣問ありぬべし。

しかあれば明明の光明は百草なり。百草の光明、すでに根莖枝葉、花菓光色、いまだ與
奪あらず。五道の光明あり、六道の光明あり。這裏是什麼處在なればか、光明する。云
何忽生山河大地なるべし。長沙道の盡十方界、是自己光明の道取を審細に參學すべきな
り。光明、自己、盡十方界を參學すべきなり。

生死去來は光明の去來なり。超凡越聖は、光明の藍朱なり。作佛作は、光明の玄黄なり
。修證はなきにあらず、光明の染汚なり。草木牆壁、皮肉骨髓、これ光明の赤白なり。
烟霞水石、鳥道玄路、これ光明の廻環なり。自己の光明を見聞するは、値佛の證驗なり
、見佛の證驗なり。盡十方界は是自己なり。是自己は盡十方界なり。廻避の餘地あるべ
からず。たとひ廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。而今の髑髏七尺、すなはち盡
十方界の形なり、象なり。佛道に修證する盡十方界は、髑髏形骸、皮肉骨髓なり。

雲門山大慈雲匡眞大師は、如來世尊より三十九世の兒孫なり。法を雪峰眞覺大師に嗣す
。佛衆の晩進なりといへども、席の英雄なり。たれか雲門山に光明佛の未曾出世と道取
せん。
あるとき、上堂示衆云、人人盡有光明在、看時不見暗昏昏、作麼生是人光明在(人人盡
く光明の在る有り、看る時見ず暗昏昏なり。作麼生ならんか是れ人の光明在ること)。
衆無對(衆、對ふること無し)。
自代云(自ら代て云く)、堂佛殿廚庫三門。
いま大師道の人人盡有光明在は、のちに出現すべしといはず、往世にありしといはず、
傍觀の現成といはず。人人、自有、光明在と道取するを、あきらかに聞持すべきなり。
百千の雲門をあつめて同參せしめ、一口同音に道取せしむるなり。人人、盡有、光明在
は、雲門の自構にあらず、人人の光明みづから拈光爲道なり。人人盡有光明とは、渾人
自是光明在なり。光明といふは人人なり。光明を拈得して、依報正報とせり。光明盡有
人人在なるべし、光明自是人人在なり、人人自有人人在なり、光光自有光光在なり、有
有盡有有有在なり、盡盡有有盡盡在なり。
しかあればしるべし、人人盡有の光明は、現成の人人なり。光光、盡有の人人なり。し
ばらく雲門にとふ、なんぢなにをよんでか人人とする、なにをよんでか光明とする。
雲門みづからいはく、作麼生是光明在。
この問著は、疑殺話頭の光明なり。しかあれども、恁麼道著すれば、人人、光光なり。
ときに衆無對。
たとひ百千の道得ありとも、無對を拈じて道著するなり。これ佛使用傳の正法眼藏涅槃
妙心なり。
雲門自代云、堂佛殿廚庫三門。
いま道取する自代は、雲門に自代するなり、大衆に自代するなり、光明に自代するなり
。堂佛殿廚庫三門に自代するなり。しかあれども、雲門なにをよんでか堂佛殿廚庫三門
とする。大衆および人人をよんで堂佛殿廚庫三門とすべからず。いくばくの堂佛殿廚庫
三門かある。雲門なりとやせん、七佛なりとやせん。四七なりとやせん、二三なりとや
せん。拳頭なりとやせん、鼻孔なりとやせん。いはくの堂佛殿廚庫三門、たとひいづれ
の佛なりとも、人人をまぬかれざるものなり。このゆゑに人人にあらず。しかありしよ
りこのかた、有佛殿の無佛なるあり、無佛殿の無佛なるあり。有光佛あり、無光佛あり
。無佛光あり、有佛光あり。

雪峰山眞覺大師、示衆云、堂前、與人相見了也(堂前に、人と相見し了れり)。
これすなはち雪峰の通身是眼睛時なり、雪峰の雪峰を見する時節なり。堂の堂と相見す
るなり。
保、擧問鵞湖、堂前且置、什麼處望州亭、烏石嶺相見(保、擧して鵞湖に問ふ、堂前は
且く置く、什麼の處か望州亭、烏石嶺の相見なる)。
鵞湖、驟歩歸方丈(鵞湖、驟歩して方丈に歸る)。
保、便入堂(保便ち堂に入る)。
いま歸方丈、入堂、これ話頭出身なり。相見底の道理なり、相見了也堂なり。

地藏院眞應大師云、典座入庫堂(典座庫堂に入る)。
この話頭は、七佛已前事なり。

道心

01
仏道を求めるrには、まず道心を先とせねばならぬ。道心のあり様を、
知る人は少ない。明らかに知っている人尋ねなければならぬ。


02
末世には、真心ある道心者は、だいたいいない。しかしながら、つねに心を無常にかけて、
世のはかなく、人の命がいつも危ういことを忘れてはならない。己に固執する人は、
世がはかないと思うことを知らないだろう。己を捨てて、仏法を重んじ、わが身命
を軽んじなければならない。仏法のためには、身も命も、惜しんではならぬ。

03
次には、深く仏法僧の三宝を敬うのである。次の生に身を変えても、三宝を供養し、
敬い奉ろうと願わねばならない。寝ても覚めても、三宝の功徳を思わねばならぬ。
寝ても、覚めても、三宝を唱え奉らねばならぬ。たとえこの生を捨てても、
命が終わるに臨み、まだ次の生に生まれぬまでの、その間に、忠有ということがある、
その間は七日であるが、その間にも、つねに声を止めずに、三宝を唱え奉ろうと
思わねばならぬ。七日を過ぎれば、中有は死んで、また中有の身を受けて、七日
がある。その間がいかに長いといっても、四十九日を過ぎることはない。
この中有で、何事を見、何事を聞いても、仏を信じることによって障りなく天上に
生まれることは、明らかである。
このような時、心を励まして、三宝を唱えたtrまつり、
南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧
と、唱え奉ろうとすることを忘れず、途切れなく唱え奉るのだ。

04
すでに中有を過ぎて、次の生の父母のそばに近づこうとするときも、必ず心にかけて、
三宝を唱え奉らねばならぬ。仏法のままに母体に宿りその中にあっても、三宝を
唱え奉らねばならぬ。生まれおちようとするときも、唱え奉ることを怠っては
ならぬ。六根のすべてによって、三宝を供養し奉り、唱えたてまつり、帰依し
たてまつろうものと、深く願わねばならぬ。またこの生が終わるとき、二つの眼は
たちまち暗くなるだろう。そのときを、もはや生の終わりと知って、励んで、南無帰依仏
と、唱え奉るのだ。このとき十方の諸仏は、憐みを垂れさせたまうのである。

05
縁あって悪趣に赴かねばならぬ罪人も、転じて天上に生まれ、仏のみまえに
生まれて、仏を拝みたてまつり、仏が説かれる教えを聞くのである。眼前に
闇が迫ってきたならば、そののちは、弛まず励んで、三帰依を唱えたてまつることは
中有までも、後生までも、怠ってはならぬ。

06
また一生のうちに、仏像を造りたてまつろうとせねばならぬ。仏像を御造りしたら、
3種の供養をしたてまつらねばならぬ。三種とは、草座、砂糖水、燈火である。これを供養し
たてまつらねばならぬ。

ーーーーーーーーー

「正法眼蔵 道心」

 仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人まれなり
。あきらかにしれらん人に問ふべし。
よの人は道心ありといへども、まことには道心なき人あり。まことに道心ありて、人に
しられざる人あり。かくのごとく、ありなししりがたし。おほかた、おろかにあしき人
のことばを信ぜず、きかざるなり。また、わがこころをさきとせざれ、仏のとかせたま
ひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、よるひるつねにこころにか
けて、この世にいかでかまことの菩提あらましと、ねがひいのるべし。
 世のすゑには、まことある道心者、おほかたなし。しかあれども、しばらく心を無常
にかけて、世のはかなく、人のいのちのあやふきこと、わすれざるべし。われは世のは
かなきことをおもふと、しられざるべし。あひかまへて、法をおもくして、わが身、我
がいのちをかろくすべし。法のためには、身もいのちもをしまざるべし。
 つぎには、ふかく仏法三宝をうやまひたてまつるべし。生をかへ身をかへても、三宝
を供養し、うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねてもさめても三宝の功をおもひ
たてまつるべし、ねてもさめても三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生をすてて
、いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる
、そのあひだも、つねにこゑもやまず三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。七日を
へぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども
、七七日をばすぎず。このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。
かからんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、南無帰依仏、南無帰依法、南
無帰依僧ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。
 すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて
、正知ありて託胎せん処胎藏にありても、三宝をとなへたてまつるべし。むまれおちん
ときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。六根にへて、三宝をくやうじたて
まつり、となへたてまつり、帰依したてまつらんと、ふかくねがふべし。
 またこの生のをはるときは、二つの眼たちまちにくらくなるべし。そのときを、すで
に生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏ととなへたてまつるべし。このとき、十方
の仏、あはれみをたれさせたまふ。ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にむ
まれ、仏前にうまれて、ほとけををがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり
。
 眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまずはげみて三帰依となへたてまつること
、中有までも後生までも、おこたるべからず。かくのごとくして、生々世々をつくして
となへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、おこたらざるべし。これ仏菩薩の
おこなはせたまふみちなり。これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身にそなはるとも
云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし。
又、一生のうちに仏をつくりたてまつらんといとなむべし。つくりたてまつりては、三
種の供養じたてまつるべし。三種とは、草座、石蜜漿、燃燈なり。これをくやうじたて
まつるべし。

 又、この生のうちに、法華経つくりたてまつるべし。かきもし、摺寫もしたてまつり
て、たもちたてまつるべし。つねにはいただき、礼拝したてまつり、華香、みあかし、
飮食衣服もまゐらすべし。つねにいただきをよくして、いただきまゐらすべし。
 又、つねにけさをかけて坐禅すべし。袈裟は、第三生に得道する先蹤あり。すでに三
世の仏の衣なり、功はかるべからず。坐禅は三界の法にあらず、仏の法なり。

 徒然草 第三十段

 人のなきあとばかり悲しきはなし。
 中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしくせばき所にあまたあひゐて、後のわざ
ども營みあへる、心あわたゞし。日數のはやく過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日
は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我かしこげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行
きあかれぬ。もとのすみかに歸りてぞ、更に悲しき事は多かるべき。「しかじかのこと
は、あなかしこ、跡のためいむなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりのなかに何かはと
、人の心はなほうたておぼゆれ。
 年月へても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎しといへることなれば、さ
はいへど、其のきはばかりは覺えぬにや、よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ。からはけ
うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかりまうでつゝ見れば、ほどなく卒都姿も苔む
し、木の葉ふりうづみて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
 思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そも又ほどなく失せて、聞きつたふるば
かりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名
をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、はては、嵐に
むせびし松も千年をまたで薪にくだかれ、古き墳はすかれて田となりぬ。そのかただに
なくなりぬるぞ悲しき。

出家功徳



【定義】出家して得ることが出来る功徳のこと。 ②道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では86巻、12巻本では1巻。説時・説処は不明である。 【内容】 道元禅師は、『正法眼蔵』「出家」巻では、まさに出家受戒することが、成道への受記であり、成道そのものであるとしたが、本巻では、様々な経典や論書を引用しながら、出家の功徳を明らかにしている。 冒頭では、『大智度論』から龍樹の行実を引いて、「酔婆羅門」について述べている。これは、酔った勢いでかりそめに比丘になったものだったが、それでも出家の功徳があるとされている。他にも転輪聖王という俗世では最高の存在でも、出家すればなお素晴らしいことや、ふざけて袈裟を着けた女性が素晴らしい比丘尼(蓮華色比丘尼)になった話などが示される。 それから、我々の身体は、四大五蘊が仮に因縁和合しているものだと説く道元禅師は、まさに生滅を繰り返す存在としての我々を「刹那生滅」であるとする。そして、生滅する存在を超えて、絶対なる悟りに入るべきであると説くのである。
しるべし、今生の人身は、四大五蘊因縁和合して、かりになせり。八苦つねにあり。いはんや刹那刹那に生滅してさらにとどまらず。いはんや一弾指のあひだに六十五の刹那生滅すといへども、みづからくらきによりて、いまだしらざるなり。すべて一日夜があひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊生滅すといへども、しらざるなり。あはれむべし、われ生滅すといへども、みづからしらざること。この刹那生滅の量、ただ仏世尊ならびに舎利弗とのみしらせたまふ。余聖おほかれども、ひとりもしるところにあらざるなり。この刹那生滅の道理によりて、衆生すなはち善悪の業をつくる。また刹那生滅の道理によりて、衆生発心得道す。かくのごとく生滅する人身なり、たとひをしむともとどまらじ。むかしより、をしんでとどまれる一人いまだなし。かくのごとくわれにあらざる人身なりといへども、めぐらして出家受戒するがごときは、三世の諸仏の所証なる阿耨多羅三藐三菩提、金剛不壊の仏果を証するなり。
さらに、このような「出家至上主義」は、戒律の護持についても及び、出家者の素晴らしさは、俗人の思慮の及ぶ範囲ではないとされている。それだけ、仏に帰依する行為としては、出家受戒が優れているのである。
しるべし、出家して禁戒を破すといへども、在家にて戒をやぶらざるにはすぐれたり。帰仏かならず出家受戒すぐれたるべし。
そして、とにかく剃髪し、袈裟を着ける存在こそが優れているのであり、戒律の護持にこだわることは許されていない。
しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひとこれを悩乱すれば、三世諸仏の報身を壊するなり、逆罪とおなじかるべし。あきらかにしりぬ、出家の功徳ただちに三世諸仏にちかしといふことを。
また、「礼拝得髄」巻や「出家」巻で説かれていた、様々な成仏法が同巻では改めて主題化されている。女人成仏や在家成仏は一切が否定されて、とにかく出家者だけが成仏することが明示されている。これは、男女の性の問題ではないことが示されるとともに、在家者では得道できないことを明示したのである(当然、出家する資格は男性・女性ともに保持することが、同巻中に示される。よって、女身成仏の否定は、女性差別ではない)。
三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。過去有仏のゆえに、出家受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家受戒によるなり。おほよそ出家受戒の功徳、すなはち諸仏の常法なるがゆえに、その功徳無量なり。聖教のなかに在家成仏の説あれど、正伝にあらず。女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず。仏祖正伝するは、出家成仏なり。
在家成仏は否定しているが、インドの僧伽難提尊者の事例を挙げて、「在家出家」があったことを指摘している。しかし、難提尊者も最終的には家を出たことを挙げて、家に留まることは、最終的に得道できないことを示している。
在家出家の称、このときはじめてきこゆ。ただし宿善のたすくるところ、天光のなかに坦路をえたり。つひに王宮をいでて石窟にいたる、まことに勝躅なり。世楽をいとひ俗塵をうれふるは聖者なり、五欲をしたひ出離をわするるは凡愚なり。
そして、『大乗義章』を引用しながら、出家者が行う四種の行法を採り上げている。一生不離叢林にして、行四依すべきであると説く。
それ出家行法に四種あり、いはゆる四依なり。一、尽形寿樹下坐。二、尽形寿著糞掃衣。三、尽形寿乞食。四、尽形寿有病服陳棄薬。共行此法、方名出家、方名為僧。若不行此、不名為僧。是故名出家行法。
同巻ではとにかく在家よりも出家者の優位を繰り返し説くことが多く、末尾に到っても、釈尊の実子である羅睺羅(ラーフラ)尊者が出家したことの素晴らしさを指摘して、さらに鎌倉時代当時の日本の皇室・貴族に対して出家すべきであると説いている。
西天伝仏正法眼蔵の祖師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦初祖、これ香至王第三皇子なり。王位をおもくせず、正法伝持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。

2017年1月26日木曜日

唯仏与仏の巻

日本人の心の歴史P185 唯仏与仏について

たとえば、ある人にであったとき、その折りの、その際の、その人の顔かたちをみて、
これこれであったと覚え込み、そしてそのうえで、あの人はいつもこういう顔かたち
だと決めてしまうことがある。また花や月も、状況によってさまざまに違うのに、
その時みた花や月を、やがて花、月一般に及ぼして花はこういうもの、月はしかじかの
と、自分の心でみた光色を加えて月の光、花の色を断定してしまう。また、春はただ春ながらの
心、秋の美しいのもまた美しからざるのもまた秋ながらのおのづからのあらわれで、
それはそれぞれにいたしかたのないものである。春、秋の景色を己とは関係ないもの
だと判断するのはむずかしいことではあるが、然し、たとえば自分自身の姿恰好
のことを考えてみればわかることである。自分自身にも、逃れようとしても逃れられない
何ものかがある。さて、この春の声、秋の声が、己と関係があるのか、それとも
無関係なものなのか、よくよく考えてみるべきである。春、秋の表情は己の心に
つもりに積もって固定してしまった観念でもない。また今の自分の心に抱いている
イメージでもない。
右の事を押し広めていけば、いまの四大五薀うん、地水火風も、色受想行識も、
そのおのおのを、我とすべきにもあらず、ということになる。だから、花や月
のもよおす心の色もまた我とすべきではない道理であるのに、それを我と思ってしまう。
われにあらぬを、われと思うも、されは「さもあらばあれ」詮方ない。だが、
顔をそむけるような嫌いな色も捨てようとしても捨てられず、また好んでそれに
近寄りたい思う色もまた長くとどまらない。そういう取捨選択を離れ、自分の
すききらいを超えて、花、月を見るのが、不染汚ふぜんなの面目である。
ここにいう不染汚とは無頓着ということである。先に引いた言葉で言えば、
「自己を忘れる」ということ、さらに言えば、そのわするることで、それが即ち
「心身脱落」に外ならぬ。身の垢、心の垢、嗜好や固定観念を洗い落として、
生まれたばかりの「ありのまま」になることである。
ありのままをありのままに見る、ありのままがありのままにうつるということが
どんなに難しいことであるか。そうするためにはまず自分自身が不染汚のありのまま
にならねばならぬ。「ならねばならぬ」が修行というものであろうが、その
「ねばならぬ」がもう一度超えられて、ありのままがありのままに現成するのが、
無上の菩薩、覚りだというのだ。




仏法は、人の知るべきにはあらず。この故に昔しより、凡夫として仏法を悟なし、二乗
として 仏法をきはむるなし。独り仏にさとらるる故に、唯仏与仏、乃能究尽ないのう
ぐうじんと云ふ。

其れをきはめ悟る時、われながらも、かねてより悟るとは各こそあらめとあもはるるこ
とはなきなり。

縦ひおぼゆれども、そのおぼゆるにたがはぬ悟にてなきなり。悟りもおぼえしが如にて
なし。

かくあれば、兼ねて思ふ、そのようにたつべきにあらず。悟りぬる折りは、いかにあり
ける故に 悟りたりとおぼえぬなり。是にてかへりみるべし、悟りより先に、兎角おも
ひけるは、悟りの用に あらぬと。・・・


【解説】仏法は、人が知ることのできるものではない。したがって昔から、凡夫で仏法
を悟った者は いないし、二乗(声聞乗・縁覚乗に代表される小乗仏教の徒)で仏法を究
めた者はいない。

ただ仏にだけ悟られるので、唯仏与仏、乃能究尽(唯だ仏と仏と、乃ち能く究尽す)と言
う。
(ここでは『妙法蓮華経』「方便品」の「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」という語句
が踏まえ られている。)

それを究め悟る時には、自分としても以前から悟るとはこのようなことであろうと思わ
れて いたようなものではないのだ。たとい憶測していたとしても、その憶測に相違し
ない悟りでは ないわけである。悟り方も、憶測していたようなふうではない。そんな
わけで、以前に思って いたことは、それが役に立つはずがないのである。悟った際に
は、どのようなふうであったから 悟ったとは、気づかないのだ。これによって回顧し
てみるがよい、あれこれと思っていたことは 悟りの役には立たなかったのだというこ
とを。・・・


ーーーーーーーーーー

妙法蓮華経方便品第二には「唯仏与仏乃能究尽諸法実相」と説かれている。

訓読「唯(ただ)仏と仏と、乃(いま)し能(よ)く諸法の実相を究尽したまえり。」

この「唯仏与仏」の意味を道元禅師は『正法眼蔵』に於いて以下の如く説いている。

「仏法は、人のしるべきにあらず、このゆゑに、むかしより、凡夫として仏法をさとる
なし、二乗として仏法をきはむるなし。ひとり仏にさとらるるゆゑ

唯仏与仏乃能究尽
(ゆいぶつよぶつないのうくじん)といふ。」

仏の覚知した「諸法実相」の理(ことわり)は甚だ深く、決して言語表現を超えている
から、言葉をたよりに物事を理解しようとする凡人には悟ることはできない。

結局は、仏法とは諸法実相を覚知した仏のみがよく、その仏の到達した諸法実相を究め
尽くしているのであり、凡夫や二乗の知るところではない、ということです。

だから、「『仏』と『仏のみ』とは2人、仏がいる」という意味ではなくて、ただ仏の
みがよく、仏の知っている諸法の実相を究め尽くしているのである、という意味です。

文章は一区切りまで読まないと可笑しな解釈を生むことになるので御注意ください。

説心説性の巻、百不当の一老

06
菩提心を起こし、仏道修行についてからは、難行を大切に行ずるにあたって、
どのように修行しても、百の矢を射ても1つも当たることのないのがふつうである。
そのようではあるが、あるいは知識に学び、あるいは経巻に学ぶうちに、ようやく
一当を得るのである。いま得た一当はむかし百の矢を射た努力の賜物である、当たらなかった
百の矢に籠った努力が熟したのである。教えを聞き、道を修め、証を得るのは、
皆このようにしてである。きのうの説心説性は百の当たらなかった矢であるが、
きのうの説心説性の百の当たらない矢があってこそ、たちまち今日の一当となるのだ。
仏道修行の初心の時は、未だ努力が熟さず道に通達しないにしても、仏道を捨てて
他の道によって仏道に達することはない。仏道修行とはどのようなものであるか
に通達しない者たちは、このような徒労のような努力によってこそ道は自在に通じる
という道理が分からないのである。



百不当の一老
菩提心をおこし、仏道修行におもむく後よりは、難行を懇ろに行うとき、行うといえど
も百行に一当なし。しかあれども、或従知識、或従経巻して、ようやく当たることを得
るなり。いまの一当は、むかしの百不当の力なり、百不当の一老な
道元禅師 『正法眼蔵 説心説性の巻』
(仏道を求める心をおこして修行に取り組むのだが、一生懸命修行を続けても一向に真
実の教えが腹に落ちない。だけども、有徳の僧の指示や教えを素直に行じていくうちに
、やがて真実の道を得ることができるようになる。つまり、それまでの百の不承当があ
ったからこそ、一つの老熟した承当がここに現れて来るのである)
「百不当」とは、例えて言えば弓で的を射ることです。弓で的を射ようとしても一向に
当たりません。百回やって百回とも当たらないのです。しかし、その当たらない矢をあ
きらめずに何本も放って修練を積むうちに、その修練の力によってやがて当たるように
なるのです。その的を打ち抜いた矢、つまり一当は、それまでの「百不当の力」であり
、「百不当の一老」、「百不当の蓄積」であります。
私は若い頃から音楽、特にピアノが大好きで、毎日一生懸命ピアノの練習に打ち込みま
した。大学も音楽の分野へ進学しました。そして四年生の時にはオーケストラとモーツ
ァルトのピアノ協奏曲を演奏するくらいにまでなりました。今、その大学時代を振り返
ってみますと、まさに朝から晩までピアノ練習漬けの毎日でした。一日平均六~八時間
の練習をするのです。
弓でもピアノでもおよそ「道どう」とつくものは、みなそうだと思いますが、一日練習
を怠ればその分を取り返すには何倍もの修練が必要です。上達への近道は、有効な練習
を毎日勤勉に繰り返し行う以外には有り得ないのです。
ピアノで一つの曲を完全に弾きこなせるようになるまでの過程を山登りに例えてみます
と、曲をマスターするのは山の頂上に立つことです。
一合目~三合目~五合目と登ってきて、最後の八合目~頂上にかけての道程は、それま
でのものと比較すると、はるかに難しく困難なものです。難しい箇所を何度も練習する
のですが、なかなか上手に弾くことが出来ません。
しかし、良き先生(指導者)のアドバイスを受けたり、偉大なピアニスト達(先人)の
演奏テープを聴いて参考にし、出来ない箇所を片手ずつゆっくりと何度も繰り返したり
するうちに、ある日突然スラスラと弾けるようになるのです。これが即ち「百不当の一
老」なのです。
努力に比例して成果が上がれば問題は簡単ですが、努力しても成果が上がらない。そこ
で止めてしまえば「骨折り損のくたびれ儲け」で終わってしまうことになります。
そうではなくて、一見無駄と思えることでも努力を続けていくと、その無駄が全部生き
ていて、予想外の成果を上げることができるようになるものです。これが「百不当の一
老」ということです。
更にこの言葉を深めていきますと、目的や結果にかかわらず、今自分が為すべきことを
粛粛と真面目に修していく。そのことに価値観を定めていくことが大切だということに
気が付きます。
仏道に例えれば、一つ一つの動作を、仏としての行であると自覚して真剣に行う、とい
うことです。大切なのは、単なる形式ではなくて、それを真剣に大切に行うことであり
ます。「威儀作法の中に真実の仏法がある」と云うのはこのことを指すのでしょう。
「修行」の本来の意味も「反復すること」「繰り返すこと」です。つまり「むかしの百
不当」です。食事なら食事、洗面なら洗面、排泄なら排泄、という一つ一つの営みを大
切に行いなさい、ということです。
修行というと何か特別なことをするように思いますがそうではありません。毎日毎日同
じことを繰り返して生きていく。これが修行であり、人生です。当たり前のことを、当
たり前に大切に行っていくということ、その繰り返しが修行です。ですから、死ぬまで
修行に「終わり」はないということにもなります。日常生活を送る上で、お互いこのこ
とをよくよく肝に銘じたいものです。

看経かんきん

01
無上の覚りを修めるには、あるいは知識による導きを必要とする、あるいは経巻を必要とする
このにいう知識とは、全天全地森羅万象をもって事故の全身とした諸ぶっそのことである
経巻とは、般若心経や法華経や金剛経などが全天全地森羅万象を説くように、全現象世界
を上げて全自己のものとする経巻のことである。師の教えを聞き経を読む自己とは、古来の
全仏祖を併せて一とする自己、全経巻を併せて一とする自己であるからだ。ここに自己といっても
その自己は自己と他が関わり合い引き裂かれているものではない。それは生き生きとした
眼だ、活き活きとした拳だ。

15
この「ただ経で眼をふさごうとしているだけだ」は薬山の眼が自ずから一切経を説いている
というのだ。眼が一切経によってふさがれているのだ、経は目に飲み込まれているのだ、
全眼が経になっているのだ。一切経を挙げて眼としてるのだ。眼が経によってふさがれている
とは一切経のなかに目を開いているのだ、一切経の内に目が働くのだ、だから目の上にさらに
一枚の皮がそっているのだ。それは全法界を飲み込んだ目である、眼が自ずと全法界を
吞み込んでいるのだ。そうであるから、眼の経でないならば、一切経によって眼がふさがる
という事態は起こりえないのだ。

18
現在禅院では多くの看経の儀則がある。
以下、24まで具体的なやり方が書かれている。





今日、看経というと大きな声をあげて「観自在菩薩・・・・」と大声に唱えるのが
看経と言われていますが、道元禅師の「看経」の巻のお考えというものは、
必ずしもそういうふうに声をあげて経典を読むという事ではなしに、むしろ静かに
読んで経典の意味を理解し考えるという事が「看経」の意味になるとみてよいかと
思います。この経典を読むという事については、元来、仏道というのは抽象的な論議
の問題ではないという立場からしますと、経典を読むことを比較的軽視する、
軽く見るという考え方もあるわけであります。
その一つの典型的な例は、「不立文字教外別伝」という思想があるわけであります。
「不立文字」というのは、文字を立てない、つまり言葉を使って論議をしない、
あるいは本を読んで仏道を理解するという事をやらない。「教外別伝」というのは、
教えというのは抽象的な理論・教えという意味があるわけで、そういう抽象的な理論・教え
の他に、釈尊以来、別に伝えるものがあるという思想が「不立文字教外別伝」という
思想であります。この思想は臨済系の坐禅をやる人々の間では、非常にやかましく言う。
そういう点では「仏道とは理屈ではない悟りだ!」という事をしきりに言う。
その「仏道とは理屈ではない悟りだ!」という主張を、この、「不立文字教外別伝」
という言葉で表現しているわけであります。
ところが道元禅師はこの「不立文字教外別伝」という考え方に対して、必ずしも賛成
しておられない。だから「正法眼蔵」の別の巻で、この「不立文字教外別伝」という
思想を否定しておられるところがある。そういうところから見ると、道元禅師は仏道
が単なる理屈ではないという事、これは非常に強く主張されたわけでありますけれども、
それと同時に経典を読むこと、仏道を理論的に勉強することも決して否定しておられなかった。
その点では看経というものにも意味を認めておられたし、またそのことが単に紙に
書かれた字を読むという事だけでなしに、道元禅師のお立場からすれば、我々を取り
巻いている宇宙全体が経典そのものなのであるから、我々の世界が示してくれておる
教えを読み取るという事、これもまた経典を読むことであり看経であると、そういう
考え方に立って、この「看経」の巻を説いておられるという事が言えようかと
思うわけであります。


我々の住んでいる宇宙を「蘊界」と言う。その意味は「五蘊」五つの集合体の事である。
五つの集合体とは、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の五つを言う。
色蘊(物質的なものの集まり) 受蘊(その物質的な環境を感覚的に受け入れる働き)
想蘊(その感覚的に受け入れたものを頭の中であれこれと考える働き) 行蘊(その考えに
従って自分の体を動かして様々の行動をする働き) 識蘊(その行動の結果、
自分の心や頭の中に形成された意識のあり方)
この五種類の集合体の中にもわが身を置かないという事は、どういうことかと言うと、
我々の住んでいる世界は頭の中で考えて、色蘊だ、受蘊だ、想蘊だ、行蘊だ、識蘊
というふうに分析的に捉えられた世界ではない。それは現在の瞬間であり、
一所懸命生きている現在の瞬間以外にない。五種類の考え方を使って解釈する世界ではない。

坐禅というものの本質が何かと言う事を、時々考えるわけでありますが、最近よく感ずる事は、
坐禅というのは体育としての一面があるということを強く感じるわけであります。
こういう考え方をすると宗教というものをいろいろ勉強しておられる人々、あるいは仏教
というものを勉強しておられる人々はあまり歓迎しない。それはどう言う事かというと、
宗教とか仏教とかというのは精神の問題であり心の問題であるから、体の問題を持ち出す
なんていうのはあまり適当ではないと、そういう考え方が強いわけであります。
したがって、「体育としての一面がある」というようなことをいうと「解釈が非常に浅薄だ」
と言う批評を受けがちなわけでありますが、「正法眼蔵」を読みながら坐禅というものを
考えておりますと、坐禅というのはどうしても体育としての一面がある、と言うふうに
考えざるを得ない。たとえば「正法眼蔵」の中に「心身学道」という巻がある。
「心身学道」というのは、体と心で真実を学ぶ。普通、宗教は心で勉強するものというのが
常識でありますけれども、仏教の場合は、体でも勉強するという考え方が非常に強いわけであります。
それが他の宗教と仏教という考え方の大きな違い、という事もいえると思います。
ですから、我々が坐禅をやっておって、どういう変化が出てくるかと言うと、腰の周辺の
筋肉が発達して、腰骨が正しく保持で出来る様になるという事があると思います。
腰骨が正しく維持できると、その上に背骨が正しくのっかって、その上に首の骨が正しく
のっかるということで、いわゆる姿勢が正しくなるという問題があるわけでありますが、
姿勢が正しくなる基礎というのは、腰骨が正しいかどうかという事にあるようであります。
そういう腰の保持の仕方ができてくると、気持ちが不安定にならない。クヨクヨしたり、
あるいは心配したりと言う事が起きなくなる。日常生活で、街を歩いておっても、
立ち止まっておっても、あるいは寝ておっても、気持ちの不安定というものがない
という事がいえると思います。それが仏道だ。だから仏道と言うのは、単に心の問題
ではなしに、体からつくっていかないと実現しないもんだと、そういうことがいえると思います。

ーーーーーー
【定義】

①経文を看読すること。黙読・念経・諷経・誦経・転読などの方法がある。
道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では21巻、75巻本では30巻。
仁治2年(1241)に宇治の興聖寺にて示衆された。

【内容】

まず、道元禅師は「看経」の事実について、自分から見た対象として経典として
ではなく、まさに自己そのものが経巻であることを示そうとされる。
そのために、「自己」の定義も以下のようにされるのである。
阿耨多羅三藐三菩提修証、あるひは知識をもちい、あるひは経巻を
もちいる。知識といふは、全自己の仏祖なり。経巻といふは、全自己の
経巻なり。全仏祖の自己、全経巻の自己なるがゆえに、かくのごとくなり。
自己と称すといへども我你の拘牽にあらず、これ活眼睛なり、活拳頭なり。
そこで、この菩提そのものの修証として、或従知識・或従経巻とされたことを
承けて、さらに経巻と自己との関係を発起する方途として、「看経」があるのだが、
この場合、ただ「経を看る」という意味ではない。
しかあれども念経、看経、誦経、書経、受経、持経あり、ともに仏祖の修証なり。
しかあるに仏経にあふことたやすきにあらず。於無量国中、乃至名字不可得聞なり。
於仏祖中、乃至名字不可得聞なり。於命脈中、乃至名字不可得聞なり。
仏祖にあらざれば、経巻を見聞読誦解義せず。仏祖参学よりかつかつ経巻を
参学するなり。
調度この文章に出たが、「仏経」巻との関連性が指摘されており、当に仏=経として
の事実を説いたのが、「仏経」巻であるとすれば、この「看経」巻は、それを叢林での
修行に力点を於いて説かれたものである。そして、この仏経=看経としての故事を挙げて、
それぞれに提唱されながら、一巻をまとめておられる。

用いられた公案は、「薬山陞座」や「東印請祖」や「薬山看経」など、他多数であるが、
それらについて、道元禅師は「仏祖の屋裏に、承当あり、不承当ありといへども、
看経請益は、家常調度なり。」という巻尾の言葉で締めくくられている。
また、義雲禅師著語で指摘したように、「薬山看経」で示された「遮眼」も重要であろう。
この語は、本来の意味は「眼の相手をさせる」という中国の俗語だが、ここでは、
「蔽われた眼」の意味で、眼にとって一切が経巻、いや眼そのものが経巻である
ことを指した言葉である。

なお、同巻に於ける特徴として、道元禅師が中国で直接に見聞してきたものであろう、
看経法」が示されている。その詳細は同項参照のこと。