和辻哲郎の日本精神史研究より、 P156 沙門道元 道元は、「正法眼蔵」を現し、「直下承当の道は、参師問答と工夫座禅が 必須であると説いている。 宗教の真理は、あらゆる特殊、あらゆる差別、あらゆる価値をしてあらしむ 所の根源である。それは、分別を事とする「世の智慧」によっては捉まれない。 ただ一切分別の念を棄て去った最も直接なる体験においてのみ感得せられる。 その精進の方法は、 「行」の実践 あらゆる旧見、吾我の判別、吾我の意欲を放棄して、仏祖の言語行履に従うこと。 「行」の中核は、専心打坐である。 煩悩の克服が真理体現の絶対条件となる。 そして、真理を修行体得しようとするものは、第1に導師をを選ぶことであり、 正しい師に面接し、その人柄を見ることが必要となる。 第二に重大なのは、その師に従い、一切の縁を投げ捨て、寸暇を惜しんで、 精進求道すること。 「正法眼蔵仏性」において、 「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」の涅槃経の言葉を重視する。 千夜千冊正法眼蔵より、 http://1000ya.isis.ne.jp/0988.html 聖書のように読むのには、昭和27年発行の鴻盟社の『本山版正法眼蔵』縮刷本を愛用 した。本山版というのは95巻本をいう。 すでに書いたように、この『正法眼蔵』にはいくつかの写本があるのでどれをもって定 番とするかは決めがたいのであるが、ここでは75巻本をテキストに、以下に列挙した 。ところどころに勝手な解説をつけた。全部を埋めなかったのは、それが道元流である からだ。何かのためのプログラム・ガイドにされたい。 序 「辨道話」。これは『正法眼蔵』本文に序としてついているのではないが、長らく 序文のように読まれてきた。「打坐して身心脱落することを得よ」とある。この言葉こ そ、『正法眼蔵』全75巻あるいは全95巻の精髄である。 一 「現成公按」。有名な冒頭巻だが、「悟上に得悟する」か、「迷中になお迷う」か を迫られている気になってくる。道元は、仏祖が迷悟を透脱した境涯で自在に遊んだこ とをもって悟りとみなした。それが「仏道を習ふといふは自己を習うなり、自己を習ふ といふは自己を忘るるなり」の名文句に集約される。 二 「摩訶般若波羅蜜」。『正法眼蔵』は般若心経を意識している。しかし道元は「色 即是空・空即是色」をあえて解体して、「色是色なり、空是空なり」とした。『正法眼 蔵』はあらゆる重要仏典の再編集装置であるといってもいい。 三 「仏性」。 四 「身心学道」。 五 「即心是仏」。 六 「行仏威儀」。 七 「一顆明珠」。39歳のときの1巻。道元の好きな「尽十方世界是一顆明珠」にち なんでいる。よく知られる説教「親友に譲るものは最も大切な明珠であるべきだ」とい うくだりは、仏典の各所にも名高い。ぼくは親友(心友)に何を譲れるのだろうか。 八 「心不可得」。 九 「古仏心」。 十 「大悟」。いったい何が悟りかと、仏教に遠い者も近い者も、それをばかり訊ねたがる 。ぼくの周辺にもそんな連中が少なくない。しかし道元は、「仏祖は大悟の辺際を跳出 し、大悟は仏祖より向上に跳出する面目なり」と言ってのけた。これでわからなければ 、二度と悟りなどという言葉を口にしないほうがいいという意味だ。 十一「坐禅儀」。 十二「坐禅箴」。 十三「海印三昧」。 十四「空華」。ここは世阿弥の「離見の見」を思い出せるところ。道元はそれを「離却 」といった。 十五「光明」。ここにも「尽十方界無一人不是自己」のフレーズが出てくる。尽十方界 に一人としてこれ自己なるざるなし、である。華厳は十方に理事の法界を見たのだが、 道元は十方に無数の自己の法界を見た。 十六「行持」。「いま」こそを問題にする。「行持のいまは自己に去来出入するにあら ず。いまといふ道は、行持よりさきにあるにはあらず。行持現成するをいまといふ」。 さらに道元は「ひとり明窓に坐する。たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり、これ 行持なるべし」とも書いた。一方、「仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して 断絶せず」は、露伴の連環につながっているところ。 十七「恁麼」。「いんも」と訓む。「そのような、そのように、どのように」というよ うなまことに不埒で曖昧な言葉だ。これを道元はあえて乱発した。それが凄い。「恁麼 なるに、無端に発心するものあり」というように。また「おどろくべからずといふ恁麼 あるなり」というふうに。 十八「観音」。 十九「古鏡」。鏡が出てきたら、禅では要注意だ。きっと「君の禅を求める以前の相貌 はどこに行ったのか」と問われるに決まっているからだ。 二十「有時」。道元はつねに「無相の自己」(フォームレス・セルフ)を想定していた 。その無相の自己が有るところが有時である。これを、時間はすなわち存在で、存在は すなわち時間であると読めば、ハイデガーやベルグソンそのものになる。 二一「授記」。 二二「全機」。 二三「都機」。ツキと読む。月である。『正法眼蔵』のなかで最もルナティックな一巻 だ。「諸月の円成すること、前三々のみにあらず、後三々のみにあらず」。道元は法身 は水中の月の如しと見た。 二四「画餅」。ここは寺田透が感心した巻だった。「もし画は実にあらずといはば、万 法みな実にあらず。万法みな実にあらずば仏法も実にあらず。仏法もし実になるには、 画餅すなわち実なるべし」という、絶対的肯定観が披瀝される。 二五「渓声山色」。前段に「香巌撃竹」(きょうげんきゃくちく)、後段に「霊雲桃花 」を配した絶妙な章だ。百丈の弟子の香巌は師が亡くなったので兄弟子の為山(イはさ んずい偏)を尋ねるのだが、そこで、「お前が学んできたものはここではいらない。父 母未生已前に当たって何かを言ってみよ」と言われて、愕然とする。何も答えられない ので、何かヒントがほしいと頼んだが、兄弟子は「教えることを惜しみはしないが、そ うすればお前はいつか私や自分を恨むだろう」と突っぱねた。そのまま悄然として庵を 結んで竹を植えて暮らしていたところ、ある日、掃除をしているうちに小石が竹に当た って激しい音をたてた。ハッとして香巌は水浴して禅院に向かって祈った。これが禅林 に有名な香巌の撃竹である。「霊雲桃花」では、その竹が花になる。 二六「仏向上事」。 二七「夢中説夢」。 二八「礼拝得髄」。41歳のころの執筆。きわめて独創的な女性論・悪人論・童子論に なっている。ぼくも近ごろはやっとこういう気分になってきた。7歳の童子に対しても 何かを伝えたいなら礼をもってするべきだというのだ。 二九「山水経」。ぼくの『山水思想』(五月書房)はこの一巻に出所したといってよい 。曰く、「而今の山水は古仏の道、現成なり」「空劫已前の消息なるがゆゑに、而今の 活計なり」「朕兆未萌の自己なるがゆゑに、現成の透脱なり」。これ以上の何を付け加 えるべきか。 三十「看経」。 三一「諸悪莫作」。ふつう仏教では「諸悪莫作」を「諸悪、作(な)す莫(なか)れ」 と読む。道元はこれを「諸悪作ることなし」と読んだ。もともと道元は漢文を勝手に自 分流に編集して読み下す名人なのだが、この解読はとりわけ画期的だった。諸悪など作 れっこないと言ったのだ。 三二「伝衣」。 三三「道得」。禅はしばしば「不立文字」「以心伝心」といわれるが、それにひっかか ってはいけない。言葉にならずに何がわかるか、というのが道元なのだ。それを「道得 」という。道とは「言う」という意味である。 三四「仏教」。「仏心といふは仏の眼精なり、破木なり、諸法なり」と、3段に解く。 道元の得意の編集だ。そのうえで「仏教といふは万像森羅なり」とまとめた。ここには 十二因縁も説く。 三五「神通」。 三六「阿羅漢」。 三七「春秋」。しばしば引かれる説法だ。暑さや寒さから逃れるにはどうしたらいいか という愚問に、正面きって暑いときは暑さになり、寒いときは寒さになれと教えた。絶 対的相待性なのである。 三八「葛藤」。かつてここを読んで愕然とした。「葛藤をもて葛藤に嗣続することを知 らんや」のところに刮目させられたのだ。煩悩をもって煩悩を切断し、葛藤をもって葛 藤を截断するのが仏性というもので、だからこそ仏教とは、葛藤をもって葛藤を継ぐも のだというのである! 三九「嗣書」。 四十「栢樹子」。 四一「三界唯心」。 四二「説心説性」。心性を説く。しかしそこは道元で、一本の棒を持たせて、その棒を も持ったとき、縦にしたとき、横にしたとき、放したとき、それぞれを説心説性として 自覚せよとした。デザイナーの鉛筆もそうあるべきだった。そこを「性は澄湛にして、 相は遷移する」とも綴った。 四三「諸法実相」。 四四「仏道」。 四五「密語」。密語とは何げない言葉のことをいう。その微妙に隠れるところの意味が わからずには、仏心などとうてい見えてはこないというのだ。たとえば、師が「紙を」 と言う。弟子が「はい」と寄ってくる。師が「わかったか」。弟子は「何のことでしょ うか」。師「もう、いい」と言う。これが曹洞禅というものである。 四六「無情説法」。 四七「仏経」。 四八「法性」。道元は37歳で興聖寺をおこしたが、比叡山から睨まれていた。そこで 熱心なサポーターの波多野義重の助力によって越前に本拠を移す。そして44歳のとき 、この1巻を綴った。「人喫飯、飯喫人」。人が飯を食えば、飯は人を食うというのだ 。飯を食わねば人ではいられぬが、人が人でいられるのは飯のせいではない。飯を食え ば飯に食われるだけである。道元はこれを書いて越前に立脚した。 四九「陀羅尼」。ここは陀羅尼の意味を説明するのだが、それを道元は前巻につづけて 、寺づくりは「あるがままの造作」でやるべきこと、それこそが陀羅尼だというメタフ ァーを動かした。たいした事業家なのである。 五十「洗面」。 永平寺山門 五一「面授」。いったい何を教えとして受け取るか。結局はそれが問題なのである。い かに師が偉大であろうと、接した者がバカチョンになることのほうが多いのは当然なの だ。しかし面授は僅かな微妙によって成就もするし失敗もする。道元は問う、諸君は愛 惜すべきものと護持すべきものを勘違いしているのではないか。 五二「仏祖」。 五三「梅花」。「老梅樹、はなはだ無端なり」。老いた老梅が一気に花を咲かせること がある。疲れた者が一挙に活性を取り戻すことがある。「雪裏の梅花只一枝なり」。道 元は釈迦が入滅するときに雪中に梅花一枝が咲いた例をあげ、その一花が咲こうとする ことが百花繚乱なのだということを言う。すでにここには唐木順三が驚いた道元による 「冬の発見」もあった。 五四「洗浄」。 五五「十方」。 五六「見仏」。自身を透脱するから見仏がある。「法師に親近する」とはそのことだ。 相手を好きになるときに自身を解き、相手に好かれるときに禅定に入る。が、それがな かなか難しい。 五七「遍参」。仏教一般では「遍参」は遍歴修行のことをいう。しかし道元は自己遍参 をこそ勧めた。そこに遍参から「同参」への跳躍がある。 五八「眼晴」。 五九「家常」 六十「三十七品菩提分法」。 六一「竜吟」。あるときに僧が問うた、「枯木は竜吟を奏でるでしょうか」。師が言っ た、「わが仏道では髑髏が大いなる法を説いておる」。それだけ。 六二「祖師西来意」。 六三「発菩提心」。越前に移った道元はいよいよ永平寺を構えるという事業に乗り出し た。その心得をここに綴っている。そしてその事業の出発点を「障壁瓦礫、古仏の心」 というふうに肝に銘じた。そこにあるものを寄せ集めた初心を忘れるなということだ。 六四「優曇華」。 六五「如来全身」。 六六「三昧王三昧」。仏教が最も本来の三昧とする自受用三昧のことである。道元は三 昧を一種としないで、つねに多種化した。 六七「転法輪」。 六八「大修行」。 六九「自証三昧」。ここにも岩田慶治が好んだ「遍参自己」が出てくる。「遍参知識は 遍参自己なり」と。先達や師匠のあいだをめぐって得られる知識は、自分をめぐりめぐ って得た知識になっているはずなのである。 七十「虚空」。 七一「鉢盂」。「ほう」と訓む。飯器のようなものだが、禅林ではこれを仏祖の目や知 恵の象徴に見立てて、編集稽古する。このときたいてい「什麼」(しも)が問われる。 「什麼」は「なにか」ということで、この「なにか」には何でもあてはまる。それゆえ 、何でもいいわけではなくなってくる。その急激な視野狭窄に向かって、道元が「それ 以前」を問うのである。 七二「安居」。 七三「他心通」。 七四「王索仙陀婆」。寛元4年(1249)、大仏寺は日本国越前永平寺となった。開寺に あたって道元は寺衆に言った、「紙衣ばかりでもその日の命を養へば、是の上に望むこ となし」と。 七五「出家」。道元は53歳の8月に入滅した。あれだけの大傑としては、早死にであ ろう。遺偈は「十四年、第一天を照らし、趺跳(ふちょう)を打箇して大千を触破す。 噫、渾身もとむる処なく、活きながら黄泉に陥つ」というものだった。 |
2016年4月22日金曜日
千夜千冊正法眼蔵七十五巻道元 和辻哲郎の日本精神史研究、
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