【定義】
①行は修行のこと、持は護持・持続のこと。仏祖の大道を修行し、永久に持続して懈怠させないこと。菩提の道を失わないように修行し、究竟道に至っても退転することなく続けられる無限の修行のこと。現在の曹洞宗では、「日分行持」「月分行持」「年分行持」などのように、日々に行われる修行のことを行持という。詳細は、『行持軌範』参照のこと。
②仏行の一。
③道元禅師の『正法眼蔵』の巻の一。仁治3年(1242)4月5日に、興聖寺にて示衆された。95巻本では30巻、75巻本では16巻、60巻本では16・17巻に上下巻として分割編集される。なお、下巻の部分のみ、道元禅師の真筆が熊本県広福寺に伝わる。
【内容】
行持の語意については、古来から様々な定義付けがなされた。
このように、同巻冒頭にて、仏祖の大道には必ず無上の行持があり、それが道環される様子を示される。なお、これを受けて、同巻の真筆には、奥書の標題に「仏祖行持」とする。
行は常に、悟りに至るための手段化されることが多いわけだが、道元禅師の直弟子達は、それを否定する。
江戸時代の学僧・面山瑞方師は、護持という観点を容れて、修行の前提となる発菩提心を修行し護持する重要性を説かれる。
江戸時代の学僧・父幼老卵師は、大道通達という観点から、修行の無量、或いは持については実相総持とされる。総持とは、陀羅尼の意であり、その原意に持続があることから、こちらも修行の持続の意が入る。
【定義】にも示したが、道元禅師の『正法眼蔵』「行持」巻は、編集上内容は上下に分かれていて、特に60巻本の編集では、別個の巻にしている。それに耐えうるほどに同巻は長大であり、『正法眼蔵』中最長の巻である。内容は、世界の一切が行持に依って現成することを述べ、釈尊以下、インド・中国の各祖師の行跡について具体的に示し、終わりには学人に対して、仏祖の行持に参入することを説いている。
また、『正法眼蔵』の写本には、採り上げられる機縁などを解題の形で付すものがあるが、75巻本系統の写本で能登・龍門寺所蔵本(『永平正法眼蔵蒐書大成』第2巻に影印が所収)を参照すると、次のような内容となる。
●上巻分
・釈尊十九深山行持三十成道
・迦葉十二頭陀行跡
・第十祖波栗湿縛尊者行持
・六祖最初行持
・馬祖坐禅二十年
・雲巖与道吾同薬山参学
・三平義忠機縁
・趙州自六十一発心求道
・大梅法常機縁
・五祖法演機縁
・太白山宏智機縁
・大慈寰中説得一丈話
・雲居説時無行路
・南岳曹渓参執持
・香厳撃竹
・唐宣宗憲宗事跡
・雪峰機縁
●下巻分
・梁武無功徳
・達磨少林面壁
・二祖機縁
・三祖機縁
・玄沙機縁
・大潙機縁
・芙蓉楷機縁
・馬祖機縁
・四祖機縁
これらの機縁などを採り上げながら、道元禅師による巧みな提唱が付されており、修行者にとっては参究すべき第一級の祖録ともなっている。また、「行持道環」の概念なども入るなど、各箇所にて、行に於ける重要な概念も見える。『修証義』は第五章を「行持報恩」というが、ここにも「行持」の語が使われ、明治時代以降熱心に敷衍した様子も窺える。
【参考書】
非常に重要な巻ということもあってか、古来から提唱された宗乗家も多かった。なお、近年の研究成果なども踏まえた参考書となると、以下の通り。
・安良岡康作著『正法眼蔵・行持〈上・下〉』講談社学術文庫・上下巻とも2002年
・石井修道著『正法眼蔵行持に学ぶ ― 道元禅師』禅文化研究所・2007年
①行は修行のこと、持は護持・持続のこと。仏祖の大道を修行し、永久に持続して懈怠させないこと。菩提の道を失わないように修行し、究竟道に至っても退転することなく続けられる無限の修行のこと。現在の曹洞宗では、「日分行持」「月分行持」「年分行持」などのように、日々に行われる修行のことを行持という。詳細は、『行持軌範』参照のこと。
②仏行の一。
是れ菩薩、実の如く、仏力持・法持・業持・煩悩持・時持・願持・先世持・行持・劫寿持・智持を知るべし。 『華厳経』「十地品」
③道元禅師の『正法眼蔵』の巻の一。仁治3年(1242)4月5日に、興聖寺にて示衆された。95巻本では30巻、75巻本では16巻、60巻本では16・17巻に上下巻として分割編集される。なお、下巻の部分のみ、道元禅師の真筆が熊本県広福寺に伝わる。
【内容】
行持の語意については、古来から様々な定義付けがなされた。
仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。 『正法眼蔵』「行持(上)」巻
このように、同巻冒頭にて、仏祖の大道には必ず無上の行持があり、それが道環される様子を示される。なお、これを受けて、同巻の真筆には、奥書の標題に「仏祖行持」とする。
此行持の行の字、教行証の行にあらず、証を不待。ゆへに所詮以仏祖名行持也。 『正法眼蔵御抄』
行は常に、悟りに至るための手段化されることが多いわけだが、道元禅師の直弟子達は、それを否定する。
行は即ち修行、持は即ち護持。発菩提心を修行し護持する所以なり。 『面山述賛』
江戸時代の学僧・面山瑞方師は、護持という観点を容れて、修行の前提となる発菩提心を修行し護持する重要性を説かれる。
作麼生か是れ行持、大道通達なり。仏々祖々厳修無量の行持、人々各自の行持によりて現成するなり。故に行は仏行、行仏の威儀なり。持は実相総持なり。 『正法眼蔵那一宝』
江戸時代の学僧・父幼老卵師は、大道通達という観点から、修行の無量、或いは持については実相総持とされる。総持とは、陀羅尼の意であり、その原意に持続があることから、こちらも修行の持続の意が入る。
【定義】にも示したが、道元禅師の『正法眼蔵』「行持」巻は、編集上内容は上下に分かれていて、特に60巻本の編集では、別個の巻にしている。それに耐えうるほどに同巻は長大であり、『正法眼蔵』中最長の巻である。内容は、世界の一切が行持に依って現成することを述べ、釈尊以下、インド・中国の各祖師の行跡について具体的に示し、終わりには学人に対して、仏祖の行持に参入することを説いている。
また、『正法眼蔵』の写本には、採り上げられる機縁などを解題の形で付すものがあるが、75巻本系統の写本で能登・龍門寺所蔵本(『永平正法眼蔵蒐書大成』第2巻に影印が所収)を参照すると、次のような内容となる。
●上巻分
・釈尊十九深山行持三十成道
・迦葉十二頭陀行跡
・第十祖波栗湿縛尊者行持
・六祖最初行持
・馬祖坐禅二十年
・雲巖与道吾同薬山参学
・三平義忠機縁
・趙州自六十一発心求道
・大梅法常機縁
・五祖法演機縁
・太白山宏智機縁
・大慈寰中説得一丈話
・雲居説時無行路
・南岳曹渓参執持
・香厳撃竹
・唐宣宗憲宗事跡
・雪峰機縁
●下巻分
・梁武無功徳
・達磨少林面壁
・二祖機縁
・三祖機縁
・玄沙機縁
・大潙機縁
・芙蓉楷機縁
・馬祖機縁
・四祖機縁
これらの機縁などを採り上げながら、道元禅師による巧みな提唱が付されており、修行者にとっては参究すべき第一級の祖録ともなっている。また、「行持道環」の概念なども入るなど、各箇所にて、行に於ける重要な概念も見える。『修証義』は第五章を「行持報恩」というが、ここにも「行持」の語が使われ、明治時代以降熱心に敷衍した様子も窺える。
【参考書】
非常に重要な巻ということもあってか、古来から提唱された宗乗家も多かった。なお、近年の研究成果なども踏まえた参考書となると、以下の通り。
・安良岡康作著『正法眼蔵・行持〈上・下〉』講談社学術文庫・上下巻とも2002年
・石井修道著『正法眼蔵行持に学ぶ ― 道元禅師』禅文化研究所・2007年
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