仏道修行の精神が明らかであれば、正法を知る精神も明らかである
明らかなことで仏道修行の精神は明らかになりうるのである。
この機微を身につけることが、必ず偉大な指導者に仕えて学ぶ時の
その機微を学ぶのが修行の大切な過程であり、それは心からのあい
ここにいう偉大な指導者とは仏祖であって、かならずその身辺に努
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このようであるから、茶を持ってこい、茶をいれよ、といった師の
心の通い合いは現成し、日常にはたらく通力は現成する。
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ここにいう大陀羅尼とは、人事である、人に贈る挨拶であり礼であ
大切なものとすることによって、師と弟子との通じ合いは現成する
「魔訶止観」の漢音によって世間に流通して久しいものであるが、
ものである。
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その礼法は焼香礼拝である。あるいは出家当初の本師に対する礼法
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安吾の初めと終わり、冬至および月初め月半ばの、定まった日に焼
その礼は、あるいは朝粥の前、あるいは朝粥が済んでから行う。威
参ずる。威儀を具えるとは袈裟を著し、座具をもち、履物を整えて
または箋香などを用意して師の前に参ずるのである。
師の前にいたって合掌して師の機嫌安否をお尋ねする。侍僧はその
供え蝋燭を立てる。、、、、
この礼法の作法はそのときどきに欠かされたことはない。
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正法眼蔵を述べるときには三拝するのである。
知るべきである。
礼拝は正法眼蔵なのだ。正法眼蔵を奉ずるのは正法眼蔵への礼拝で
正法眼蔵は仏法への大いなる礼である。
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正法眼蔵第四十九 陀羅尼(だらに)
 参学眼(げん)あきらかなるは、正法眼(しょうぼうげん)
  この巻では、〈陀羅尼〉という〈言葉=事象〉が〈入門=出門〉
第一陀羅尼の事 御義口伝に云く、陀羅尼とは南無妙法蓮華経なり。
  〈陀羅尼〉は〈総持〉と訳される。〈総〉は〈総摂〉、〈持〉は〈
〈参学眼〉を〈心法〉ととれば、〈正法眼〉は〈色法〉となる。〈
〈大善知識に奉覲す〉の〈大善知識〉は〈一極=三諦円融〉
〈参学眼〉を〈心法〉ととれば、〈正法眼〉は〈色法〉となる。〈
〈大善知識に奉覲す〉の〈大善知識〉は〈一極=三諦円融〉
 しかあればすなはち、擎茶来(きんさらい)、点茶(てんさ)来、
   〈心要(しんよう)・神通(じんずう)〉は、〈擎茶来(
〈天華天香(てんげてんこう)〉とは、〈自他不二〉なる〈自己〉
〈天華天香(てんげてんこう)〉とは、〈自他不二〉なる〈自己〉
 いはゆる大陀羅尼は、人事(にんじ)これなり。
  〈人事(にんじ)〉とは、〈人間〉と〈人間〉、〈人間〉と〈
道元は〈震旦の言音(ごんおん)を依模(えも)して、世諦(
ソシュールは、自らの〈ランガージュ=言語能力〉によって、〈
道元は〈震旦の言音(ごんおん)を依模(えも)して、世諦(
ソシュールは、自らの〈ランガージュ=言語能力〉によって、〈
 その人事は、焼香礼拝なり。あるいは出家の本師、
安居(あんご)のはじめをはり、冬年および月旦月半、
安居(あんご)のはじめをはり、冬年および月旦月半、
  〈人事〉は〈焼香礼拝〉となり、〈出家の本師〉となり、〈
〈安居(あんご)のはじめをはり〉の〈はじめ〉は〈
〈安居(あんご)のはじめをはり〉の〈はじめ〉は〈
 師前にいたりて問訊す。侍僧ちなみに香炉を装し燭をたて、
問訊ののち、香を拈出して、もしかみにつつみたらば、
問訊ののち、香を拈出して、もしかみにつつみたらば、
  〈安居〉とは何か。その〈次第=展開〉について、
〈釈尊=諸仏〉は〈妙法蓮華経〉を説き、〈地上会〉と〈虚空会〉
道元は〈その儀、はるかに七仏よりつたはれるなり。宗旨(
〈釈尊=諸仏〉は〈妙法蓮華経〉を説き、〈地上会〉と〈虚空会〉
道元は〈その儀、はるかに七仏よりつたはれるなり。宗旨(
 しるべし、礼拝は正法眼蔵なり。正法眼蔵は大陀羅尼なり。請益(
 〈礼拝〉は〈正法眼蔵〉となり、〈大陀羅尼〉となる。〈
 伝法の本師を礼拝することは、時節をえらばず、
弟子小師、しかのごとく種々の拝をいたすといへども、
このゆゑに、世尊の在日に、帰仏の人衆・天衆・龍衆、
弟子小師、しかのごとく種々の拝をいたすといへども、
このゆゑに、世尊の在日に、帰仏の人衆・天衆・龍衆、
  〈伝法の本師=妙法の曼荼羅〉に〈礼拝=只管打坐〉する〈時空=
〈弟子小師=われわれ〉は、それぞれの境界で〈陀羅尼=曼荼羅〉
〈弟子小師=われわれ〉は、それぞれの境界で〈陀羅尼=曼荼羅〉
 それよりこのかた、西天二十八代、東土の諸代の祖師の会(え)
   〈北面礼拝〉は〈西天二十八代〉となり、〈東土諸代祖師〉
〈陀羅尼=曼荼羅〉の〈字母〉は、〈字母〉の〈曼荼羅=陀羅尼〉
〈陀羅尼=曼荼羅〉の〈字母〉は、〈字母〉の〈曼荼羅=陀羅尼〉
   しかあれば、すでに仏祖の児孫(じそん)なり、
  〈仏祖の児孫(じそん)〉となり、〈陀羅尼=曼荼羅〉に〈対坐=
〈愚蒙(ぐもう)の辺地人身(じんしん)〉という〈譬喩=言述〉
〈無量億千劫〉は〈空諦〉となり、〈古仏・今仏〉は〈中諦〉
〈愚蒙(ぐもう)の辺地人身(じんしん)〉という〈譬喩=言述〉
〈無量億千劫〉は〈空諦〉となり、〈古仏・今仏〉は〈中諦〉
  釈迦牟尼仏を礼拝したてまつり、供養したてまつるといふは、
先師天童古仏しめすにいはく、
先師天童古仏しめすにいはく、
 正法眼蔵陀羅尼大四十九
  爾時寛元癸卯、在越宇吉峰精舎示衆
同二年甲辰正月十三日書写之、在同州吉峰庵下侍者寮。懐弉
同二年甲辰正月十三日書写之、在同州吉峰庵下侍者寮。懐弉
 〈釈尊=諸仏〉は〈礼拝供養〉となり、〈供養礼拝〉は〈諸仏=
 
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