2016年9月3日土曜日

礼拝得髄

【定義】

①師の下で参学し、誠を尽くして礼拝するところに、得髄=仏法を得るということ。二
祖慧可大師の得法に基づく語。
②道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では8巻、75巻本では28巻。なお、95巻
本に収録されている28巻本系統は、仁治元年(1240)冬節前日に興聖寺で記され、75巻
本系統は延応2年(1240)清明日に興聖寺にて記されている。ただし、現在では本来28
巻本の方が下書きとしてあったものを、75巻本では省略して途中までのものを収録した
とされている。真実を得られた方々がつくられた結界の土地に一度でも足を踏み入れた
者は、どの様な
人でも釈尊の与える恵みを受け取るのである。それは戒律を犯すことのできない恵みで
あり、浄い状態を得るところの恵みである。その様にしてつくられた結界と言うものは
、ほんの一部の地域を結界として定めたとしても、すぐさま宇宙全体がすべて結界にな
るのである。また一部の重要なところを結界として定めることにより、宇宙全体が結界
となるのである。

この「礼拝得髄」の巻では、
女性であれ、あるいは老人であれ、子供であれ、真実を得た人は真実を得たと言うこと
の
ために尊敬せられるべきであり、また尊敬すべきであるということを繰り返し述べてお
られる。特にその中心は道元禅師の持っておられた女性観。この女性観を通して拝読し
てみると、実に徹底した男女平等の思想。男女平等ということは、昭和二十年以降しき
りに唱えられて、一所懸命そうしようと思って各人が考えているわけだけれども、心の
中ではなかなか完全に平等という信念に徹している人ばかりではない。


ある場合には水によって結界をつくり、ある場合には心の中だけで結界をつくる。ある
場合には空間を定めてそれを結界とすることもあり、そのやり方は師匠から弟子へと代
々言い伝えてきたやり方と言うものを知って行うべきである。そして結界をつくる時に
は、洒水を行った後、仏に対しての礼拝を終わり、さらに地域を浄めたうえで、「この
我々が住んでいる一切の世界と言うものが、何らかの作為なしにきわめて自然に結界と
なってすでに浄いものになった」と唱えるのである。この事を日ごろから「結界」と言
葉を口にして女性を立ち入らせない先輩達は知っているかどうか。思うにあなた方は結
界をつくることによって、宇宙全体が結界となってしまうということを知らないのであ
る。

結局あなた方は、理屈を唱えて仏道を勉強しようとしている人々の教えに騙されて、ほ
んのわずかの狭い地域というものを大きな偉大な世界だと考えるに過ぎない。願わくば
日頃の迷いや酔いが早く醒めて、真実を体得された方々の偉大な世界を踏み外す事のな
いことを。釈尊が全ての人々を救われると言うことの趣旨は、あれは救うけれどもこれ
は救わないと言う事ではない。男性は救うけれども女性は救わないと言う事ではない。
生きとし生けるもの誰でもが釈尊の教化を受けると言う性質を知って、それを礼拝し、
それを敬うべきである。この様にして釈尊の救いというものを礼拝し恭敬するならば、
誰がこれを釈尊の教えの真髄を得た人と言わない事があろう。
     
              「正法眼蔵礼拝得髄」
              1239年 清明の日(春分後15日にあたる日)  
              観音導利興聖宝林寺においてこれを書き記した。

※西嶋先生の話
以上が「礼拝得髄」の巻の全体ということになるわけ。この「礼拝得髄」の巻では、女
性であれ、あるいは老人であれ、子供であれ、真実を得た人は真実を得たと言うことの
ために尊敬せられるべきであり、また尊敬すべきであるということを繰り返し述べてお
られる。特にその中心は道元禅師の持っておられた女性観。この女性観を通して拝読し
てみると、実に徹底した男女平等の思想。男女平等ということは、昭和二十年以降しき
りに唱えられて、一所懸命そうしようと思って各人が考えているわけだけれども、心の
中ではなかなか完全に平等という信念に徹している人ばかりではない。

そんなことを言ったってちょっと違うんだというふうな事を考えがちだけれども、七百
年、八百年以前に道元禅師が持っておられた思想と言うのは徹底して平等ということを
考えておられた。仏道の立場からそういうことを考えておられたということは、この「
礼拝得髄」の巻を読むと非常にはっきりする。この様な男女平等観と言うものを持って
おられた方と言うのは、過去においては非常に少ないんではないか。これ程徹底して男
女平等ということを説かれた方と言うのは、おそらく道元禅師以外には過去においては
きわめて少ないのではないかというふうに感じられる。

・「礼拝得髄」の巻き:

 「究極の悟りを修業するときには、指導の師を得ることが、特に難しい。その師とは
、男女に関わらず、大丈夫たるべきだ。既に指導の師に遭遇したからには、一切の係わ
り合いを捨てて、わずかな時間でも無駄にすごさず、精進して仏道を明らかにすべきだ
。あたかも頭に付いた火を払うように、又、足を爪立てて待ち望むように、寸暇を惜し
んで学ぶべきである。
 仏祖の真髄を得て、仏法を伝えることは、必ず至誠の心により、信心による。いささ
かでも法よりも我が身を省みることが重いときは、法は決して伝わらないし、仏道も得
られない。
 たとえ相手が野原に立っている棒くいであろうと、灯篭であろうと、諸仏であっても
、野狐であっても、鬼神であっても、男であっても女であっても、若し大法を保持して
、その真髄を得た者であれば、我が身心をその方の御座となして、どこまでも奉仕すべ
きである。身心を得るは易い。だが仏法に巡り会うことは難い。

 シャカ仏は述べた。「究極の悟りを説き示す師匠に巡り会おうと思うなら、その人の
家柄にこだわってはならぬ。風貌も見てはならぬ。欠点を嫌っては成らぬ。行為を考え
ては成らぬ。只仏法の智恵を尊重するがために、日々の食事に百千両の黄金を尽くすべ
きだ。天上の食事を贈って供養すべきだ。日々に、朝昼夜の3時に、礼拝し恭敬して、
決して煩わしいと思う心を発しては成らぬ。そうすれば悟りの道は必ず実現する。私は
菩提心を起こしてよりこの方、この様に修業して、今日究極の悟りを得たのである」と
。そういう訳であるから、樹や石も仏法を説いてくれるようにと願うべきである。
 妙信尼は、仰山慧寂の弟子だった。仰山が、会計や渉外の役僧を選ぶにあたり、誰が
適任かを古参僧や・役職経験者に広く尋ねた。仰山は遂に、「妙信尼は女人ではあるが
、大丈夫の志気をもっている。まさしくこの役の適任者だ」といった。僧衆は皆これを
了承したと言う。
 妙信尼がその職にあるとき、蜀の国の僧17人が仰山の下へ行こうとして、たまたま
妙信尼の院で宿を取った。休息中、6祖慧能の「風・幡」(はたが揺れるのは、はたが
揺れているのか、風が揺れているのか、それともそう見る人間の心が揺れているのか)
が話題になった。ところが17人のめいめい言うのが、皆道にかなっていない。その時
妙信尼は壁の外から言った。「17頭のめくらロバよ、惜しいことにどれ程の草鞋を履き
潰したか。仏法は未だ夢にもご存じない」
 僧たちは自分達の至らないことを恥じ、衣服を整え、院主(妙信尼)を礼拝して尋ね
た。院主は「これは風が動くのでもない、幡(はた)が動くのでもない、心が動くので
もない」といった。17人ははっと気付き、そこで礼を述べ、師弟の礼をとった。17人は
直ちに蜀に帰り、仰山の所へは行かなかったと言う。

 現在、大宋国の寺院には比丘尼の修業している者が居り、その尼僧が得法すると、官
より尼寺の住職になるようにとの詔が下りる。すると尼僧はその寺で説法する。すると
衆僧が皆参集し、立ったまま説法を聞く。これが昔からの決まりだ。
 得法したからには、1人の真実の仏であるから、最早昔の誰それという気持ちで相ま
みえては成らぬ。
 甚だしい愚か者が思うことは、女人は淫欲の対象であると言う考え方を改めずに女人
を見ることだ。仏教者はそうであってはならない。淫欲の対称になるからと忌むならば
、全ての男子もまた忌むべきであることになる。昔、唐の時代に、愚かな僧がいて、「
一生涯、女人を見まい」と決めた人がいたと言う。この様な願は一体何の道理によるの
だろうか?女人に何のとががあるというのか?男子に何の徳が有るのか?男子にも悪人
はいるし、女人にも善人はいる。女人で悟りを開く人がいて、その説法を聞けなくなっ
たらどうするのだ?」
(「礼拝得髄」の巻終わる)


礼拝得髄 

【定義】

①師の下で参学し、誠を尽くして礼拝するところに、得髄=仏法を得るということ。二
祖慧可大師の得法に基づく語。
②道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では8巻、75巻本では28巻。なお、95巻
本に収録されている28巻本系統は、仁治元年(1240)冬節前日に興聖寺で記され、75巻
本系統は延応2年(1240)清明日に興聖寺にて記されている。ただし、現在では本来28
巻本の方が下書きとしてあったものを、75巻本では省略して途中までのものを収録した
とされている。

【内容】

①この得髄とは達磨大師から慧可大師に附法した事実が典拠になっている。
第二十八祖、門人に謂て曰く、「時将に至りなんとす、汝等盍ぞ所得を言はざるや」。
時に門人道副曰く、我が今の所見の如きは、文字を執せず、文字を離れず、しかも道用
をなす」。祖云、「汝、吾が皮を得たり」。尼総持曰、「我が今の所解の如きは、慶喜
の阿?仏国を見しに、一見して更に再見せざりしが如し」。祖云、「汝、吾が肉を得た
り」。道育曰、「四大本空なり、五蘊有にあらず、しかも我が見処は、一法として得べ
き無し」。祖云、「汝、吾が骨を得たり」。最後に恵可、礼三拝して後、位に依つて立
てり。祖云、「汝、吾が髄を得たり」。果して二祖として、伝法伝衣せり。 『正法眼
蔵』「葛藤」巻

得たところの仏法を道得せよと迫る達磨に対して、慧可はただ礼拝だけをもって示した
ところ、達磨は「吾が髄を得たり」として印可証明した。誠の礼拝が、そのまま仏法に
契うことを、礼拝得髄というのである。

②道元禅師は、①に挙げた「礼拝得髄」を取り上げながら、まさに慧可大師が法を重ん
じて断臂まで行ったことを讃歎しながら、不惜身命の修行の用心を説かれる。
髄をうること、法をつたふること、必定して至誠により、信心によるなり。誠心ほかよ
りきたるあとなく、内よりいづる方なし。ただまさに法をおもくし、身をかろくするな
り。

また、世俗的には就くべき師については、見た目であるとか、生まれであるとか、行い
などを「基準」にしてその善し悪しを決める傾向にあるが、道元禅師は、法を重んじて
、法を基準にして、師を選ぶべきであると説く。
釈迦牟尼仏のいはく、無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を観ずることなかれ、
容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。ただ般若
を尊重するがゆえに、日日に百千両の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし、
天華を散じて供養すべし。日日三時に礼拝し恭敬して、さらに患悩の心を生ぜしむるこ
となかれ。かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところあり。われ発心よりこのか
た、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり。

つまり、真実の仏法を説く師については、毎日多くの黄金や食事を運ぶことが求められ
ており、道元禅師もまた、全てを抛って師に仕えたからこそ、仏道を体得したことが説
かれているのである。しかし、世俗的には、様々な理由を付けて、仏法ではない、別の
基準を入れようとしている。それを批判される道元禅師は、得法の事実には、性別も関
係無いとして、得道された女人について、様々な記事を採り上げられているのである。
特に、趙州従?、潅渓志閑、末山尼、妙信尼などの行実が本文には引用されている。
たとへば、正法眼蔵を伝持せらん比丘尼は、四果支仏および三賢十聖もきたりて礼拝問
法せんに、比丘尼この礼拝をうくべし。男児なにをもてか貴ならん。虚空は虚空なり、
四大は四大なり、五蘊は五蘊なり。女流も又かくのごとし、得道はいづれも得道す。た
だし、いづれも得法を敬重すべし。男女を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり
。

そして、道元禅師は中国では女性であっても格式の高い寺院の住持として招かれる例を
説きながら、日本における女性差別を批判するのである。ただし、それは女性が素晴ら
しいからではなくて、先にも挙げたように、「得法」に基準を置かれるからである。

【28巻本系統】

得法に基準を置かれる道元禅師は、法を得た事実ではなくて、ただ女性であるからとか
、子供であるから、といった世俗的価値観を仏祖に対して当てはめることを批判される
。そして、さらに日本に於いては、女性の天皇がいたことも挙げて、本来女性差別はな
いことを示されるのである。
また、和漢の古今に、帝位にして女人あり、その国土、みなこの帝王の所領なり、人み
なその臣となる。これは、人をうやまふにあらず、位をうやまふなり。比丘尼もまたそ
の人をうやまふことは、むかしよりなし。ひとへに得法をうやまふなり。

ここで、人間中心の考え方ではなくて、法や位を重んじる考え方に転換していることが
理解できる。あくまでも、男女という性別が問題なのではなくて、天皇という位、法を
得ている仏祖現成の事実が重要なのである。余談的だが、この一文は道元禅師の「国土
観」「天皇観」を知ることができる貴重な箇所となっている。ただ、内容を見る限り、
いわゆる律令制度に対して反抗的だったとは思えず、その出自も影響してか、皇室崇敬
の念が確認される。それは「看経」巻でも同様である。

さて、同巻では、女性差別の事例を挙げて、それが如何に仏法に叶わないかを指摘して
いるが、その根拠となるのは、絶対平等の仏法にあって、男女という差別を入れること
の無意味さを批判するものである。具体的には、女性は男性から見れば、淫欲を起こさ
せるからというものだが、道元禅師は女性に限っていないとされて、女性差別の根拠を
無化する。また、男性の社会に生きることで、女性には一切関わらないことを宣言した
中国の澄観をも、「衆生無辺誓願度(四弘誓願の一句)」と願を立てる仏祖にはあるま
じき行為であると断罪される。

また、日本には女人禁制の修行道場などがあるが、これは愚かも甚だしいとされるので
ある。
また、日本国にひとつのはらひごとあり。いわゆるあるひは結界の境地と称し、あるひ
は大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を来入せしめず。邪風ひさしくつたはれて、人
わきまふることなし。稽古の人あらためず、博達の士もかんがふることなし。あるひは
権者の所為と称し、あるひは古先の遺風と号して、さらに論ずることなき、わらはば人
の腸もたえぬべし。権者とはなにものぞ、賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等
覚か妙覚か。また、ふるきをあらためざるべくは、生死流転をばすつべからざるか。

そして、女人禁制の結界などは無意味であるとして、仏法の上からは平等なる男女の性
別を主張されるのである。なお、同巻の末尾には、道元禅師が当時行っていた「結界」
の作り方が示されているため、よく学ばれたい。
いはんや結界のとき、灑甘露ののち、帰命の礼をはり、乃至浄界等ののち、頌に云、「
茲の界は法界に遍く、無為にして清浄を結せり」。

現在でも、いわゆる洒水によって結界を作る儀式があるが、本来はこの方法に依存すべ
きなのである。

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