2016年6月20日月曜日

渓声山色

渓声便是広長舌 

        (けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)
  (蘇東坡)

 中国北宋時代の詩人蘇東坡の詩。蘇東坡は文学者であると共に役人でもあったが、

皇帝のをそしった罪で湖北省の黄州へ左遷された。その罪がとかれ、しばらく弟の

いる州へ行こうと旅立つ。そのとき立ち寄ったのが廬山・恵林寺で、照覚常総禅師

に参禅した。そのとき与えられたのが無情説法の公案であった。

山川草木など情のないものの説法の声を聞けというものだ。
  因に僧問う。無情も還た説法を解すや否やと。国師云く、常に

 説いて熾然、説いて間歇無しと。僧云く某甲甚麼ぞ聞かず。

 国師云く汝自ら聞かずとて他の聞く者を妨ぐべからず。

 僧云く未審什麼人が聞くことを得るや。師云く諸聖聞くことを

 得ると。 云々
    (参考に一部掲載)

蘇東坡はしばらく廬山に留まり座禅を組みこの公案に取り

組んだ。だがついに答えを出せず、常総禅師のもとを辞して、

州へ向かうことにした。だがその無情説法の公案は彼の脳裏

から離れず馬に揺られながらも考え続けていた。いや考える

というのでなく、全身全霊で公案に取り組んでいたのだ。

そんな旅の途中とある谷川へさしかかったとき、ごうごうと岩をも砕くような流れ

の轟音に東坡はがらりと心境が開けたという、その心境を詩にしたのが、

  
渓声便是広長舌  けいせいすなわちこれこうちょうぜつ

  
山色豈非清浄身  さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや

  
夜来八万四千偈  やらいはちまんしせんのげ

  
他日如何人挙似  たじついかんかひとにこじせん    の詩である。

渓声即ち是れ広長舌・・広長舌とは、仏という立場の

方の特徴とする三十ニの瑞相の一つ。絶え間なく

響く谷川の轟音。そして山色豈清浄身に非らざらんや

・・山の青々とした風光、緑深き木々の森、森羅万象

のそのすべてが将にそのまま清浄なる仏の姿であり、

ご説法である。
夜来八万四千の偈・・朝から晩まで絶えることのない如来の無限のご説法を聞く

ことが出来るではないか。他日如何が人に挙示せん・・このすばらしい仏のご説法

の感激を誰に、どう伝えようか、言葉でも言い表せない筆舌しがたいことだ。
 “ 野に山に仏の教えはみつるれども仏の教えと聞く人ぞなし”
との歌にも通じよう。

実に、谷や川、山や木々は無情であり、何ら人の心があるわけではない。

けれど、その無情の山川草木から偉大なる仏の教えを見つけ、聞きだし心洗う

ことが出来る優れた感性、能力を人は頂いているのだ。すべての計らい、捉われ

から解き放ち、謙虚に大自然に抱かれて見るとき、自ずから清浄法身仏の雄弁なる

ご説法にふれることが出来よう。




この山水経との姉妹篇ともいうべき巻に渓声山色の巻があります。
この中で道元さまは
 「峯の色 谷のひびきもみなながら わが釈迦牟尼の 声と姿と」
と山水の功徳を詠っておられます。峯の色も、谷川を流れる水の音もみなことごとく、
天地自然の道理の体現であり、自己本来の面目であり、わが釈迦牟尼の声であり、姿で
あるということで、これは宋の蘇東坡居士の詩を思い浮かべられて詠まれた詩でありま
しょう。
 蘇東披居士の詩は
 「渓声便是広長舌 山色豈非清浄身 夜来八萬四千偈 他日如何挙似人」
であります。谷川の水の流れる音も仏の声であり、姿であります。清浄身とは法身の仏
さまということであり、法をもって身とする仏さまであります。それが山であり川であ
るというのであります。

私たちは自然の中にあるとき、自分の生命が自然の生命の本質と一致し一体化する
瞬間がある。
「正修行のとき、渓声渓色、山色山声、ともに、八万四千褐げをおしまざるなり。
自己もしく名利身心を不借すれば、渓山もまたいんもの不借あり」
正しく修行していれば、谷川のせせらぎの音も、谷川の姿、景色も、山の景色も、
山の声、山の音、風の音、様々な音、あるいは静けさそのもの、それらのものは
皆すべて八万四千げを惜しまない。八万四千はありとあらゆるものものであり、
褐げは詩句の説法を言い、すべてが数知れぬ説法の詩を語っている。
さらに、自分が名声や利益を捨て、体や心を惜しまずなg出せば、谷川や山もまた
同じように真理を語ることを惜しまない。利欲、エゴなどを捨てることことで、
初めて本当の自分というものが見えてくる。
真の自分が谷や山と一致してくる。人間が天地自然と一体化するのには、死力を
尽くして自分を捨て去ったときに向こうから訪れてくるもの、その瞬間がある。


―渓声便ち是れ広長舌、山色豈に清浄身に非ざらんや―(『碧巌録』三十七則)
夜中に坐禅していると、渓川を流れる水のせせらぎがお釈迦様の説法と聞こえ、月の照
る山の峰を仰ぐと、お釈迦様の清らかなおからだに見えてくる、という有名な蘇東坡の
句。


 スタインベックの「朝めし」という短編を読んで、これこそ禅の世界ではないかと思
ったことがある。「こうしたことが、私を楽しさでいっぱいにしてくれるのだ」から始
まるこの短編は、ロッキー山脈の中腹で綿摘みの一家と食べたパンと、ベーコンと、熱
いコーヒーという、ごく日常的な朝飯のひとときの思い出である。
 夜が明けて間もないころ、山を登っていく。濃い藍色の山の背後から射してくる光、
テントから出てきた父と息子の鬚に光る露、若い女が赤ん坊を抱えて、馴れた手つきで
焼くベーコンの匂い、赤ん坊がお乳を吸う音、男たちの「おはよう」という、愛想の良
くも悪くもない挨拶などなど。
 「それだけのことなのだ。もちろん私にも、なぜそれが楽しかったのか、理由は分か
っている。だが、そこには、思いだすたびに暖かい思いに襲われる、ある偉大な美の要
素があった」と作者は結んでいる。
 さりげなく終わってしまう日常的な朝飯を、まだ冷え冷えとする清浄な山の空気の中
で、朝日をいっぱい浴びながら食べたとき、著者スタインベックはそこにある「偉大な
美の要素」を見たのである。そういうものを見たり感じたりする力は、われわれにも与
えられているはずである。にもかかわらずその歓びを、わが手にし得ないのはなぜか。
 答えは簡単明瞭。われわれの心が濁っていて、美しい物を見たり聞いたりする感性の
窓が閉ざされているからである。さればわれわれは、もっと励んで五感の窓を磨かなけ
ればならないであろう。

「渓声山色」、この言葉が有名なのは、日本曹洞宗の開祖である道元さんの遺された「
正法眼蔵.渓声山色」によってですが、道元さんのオリジナルというわけではなく、宋
の詩人、東坡居士蘇軾の偈(げ) 

渓声便是広長舌
山色豈非清浄身
夜来八万四千偈
他日如何挙似人


が、その語源となっております。


----極めて超安直に意訳すれば---

*******************************
谷川のせせらぎを聞いて真理を会得した
この事を他の人にどのように説明したらいいのか。
*************************************

----とでも、なるでしょうか?---

したがって、「渓声山色」をたんに「山や渓谷の風景」とするとかなり外れるような気
がします。
もっと深い、哲学的な意味のある言葉と考えるべきでしょう。

ちなみに正法眼蔵はいうまでもなく仏教書であり宗教書ですが、その中のいくつかの巻
は、それをひとつの自然観、宇宙観として読んでみると極めて味わい深いものがありま
す.....

と、いうことで、その正法眼蔵から「渓声山色」をHPのタイトルに拝借いたしました。
「渓声山色」の巻の他にも「山水経」「梅華」などは特に人気があるようです。


渓声便是広長舌 

        (けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)  (蘇東坡)




 中国北宋時代の詩人蘇東坡の詩。蘇東坡は文学者であると共に役人でもあったが、

皇帝のをそしった罪で湖北省の黄州へ左遷された。その罪がとかれ、しばらく弟の

いる州へ行こうと旅立つ。そのとき立ち寄ったのが廬山・恵林寺で、照覚常総禅師

に参禅した。そのとき与えられたのが無情説法の公案であった。

山川草木など情のないものの説法の声を聞けというものだ。

   因に僧問う。無情も還た説法を解すや否やと。国師云く、常に

 説いて熾然、説いて間歇無しと。僧云く某甲甚麼ぞ聞かず。

 国師云く汝自ら聞かずとて他の聞く者を妨ぐべからず。

 僧云く未審什麼人が聞くことを得るや。師云く諸聖聞くことを

 得ると。 云々    (参考に一部掲載)

蘇東坡はしばらく廬山に留まり座禅を組みこの公案に取り

組んだ。だがついに答えを出せず、常総禅師のもとを辞して、

州へ向かうことにした。だがその無情説法の公案は彼の脳裏

から離れず馬に揺られながらも考え続けていた。いや考える

というのでなく、全身全霊で公案に取り組んでいたのだ。

そんな旅の途中とある谷川へさしかかったとき、ごうごうと岩をも砕くような流れ

の轟音に東坡はがらりと心境が開けたという、その心境を詩にしたのが、

  渓声便是広長舌  けいせいすなわちこれこうちょうぜつ

  山色豈非清浄身  さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや

  夜来八万四千偈  やらいはちまんしせんのげ

  他日如何人挙似  たじついかんかひとにこじせん    の詩である。

渓声即ち是れ広長舌・・広長舌とは、仏という立場の

方の特徴とする三十ニの瑞相の一つ。絶え間なく

響く谷川の轟音。そして山色豈清浄身に非らざらんや

・・山の青々とした風光、緑深き木々の森、森羅万象

のそのすべてが将にそのまま清浄なる仏の姿であり、

ご説法である。


夜来八万四千の偈・・朝から晩まで絶えることのない如来の無限のご説法を聞く

ことが出来るではないか。他日如何が人に挙示せん・・このすばらしい仏のご説法

の感激を誰に、どう伝えようか、言葉でも言い表せない筆舌しがたいことだ。

正法眼蔵渓声山色の04の項である。

 “ 野に山に仏の教えはみつるれども仏の教えと聞く人ぞなし”

との歌にも通じよう。

実に、谷や川、山や木々は無情であり、何ら人の心があるわけではない。

けれど、その無情の山川草木から偉大なる仏の教えを見つけ、聞きだし心洗う

ことが出来る優れた感性、能力を人は頂いているのだ。すべての計らい、捉われ

から解き放ち、謙虚に大自然に抱かれて見るとき、自ずから清浄法身仏の雄弁なる

ご説法にふれることが出来よう。

あるとき、道路を併浄ひんじょうするちなみに、かわらほとばしりて、竹にあたりて
ひびきをなすにきくに、豁然かつねんとして大悟す。


06
渓流の音を聞いて覚りを得たこの故事は、さらに後世に益することが多い。
しかし憐れむべきことに、人は幾度とも覚者の説法を聞きながら、その教えを
身につけることがないのである。ましてやどうして蘇武のように山色を見、渓流の音
を聞くことがあろうか。覚りの境地を開示する一句なりと、半句なりと、八万四千
の褐に接しようとも、中々人は覚りを身につけることがないのである。
見事ではないか、渓声山色の褐にはかくれた仏の声が現存しているではないか。
さらに慶ぶべきである。この褐に仏性が現前する時節因縁を見るのである。渓声山色
の褐には、倦むことのない味覚さえも、色声香身の五境そのものが現れている
ではないか。そうではあるが、また、そこには仏性の現前が親しいとも覚え、仏性が
隠れている様子が親しいとも覚えるのだ。
渓流の音量などはかかわりもないではないか。
渓流の音は夜の音の中に停止し、山は渓流の音の中に流れる。これまで蘇武は春秋に
流れる山水の声にこのように仏性を聞くこともなかった、夜の音に仏性を聞き取る
ことは少なかった。いまや、修行者もまた、渓声山色の「山は流れ、水は流れず」
から学道に入る門を開くべきである。

「あるとき、道路を併浄ひんじょうするちなみに、かわらほとばしりて、竹に
あたりて響きなすをきくに、豁然として大悟す。
徹底して自分の体で体得することの重要性」
11
一撃に知る所を亡じ、
さらに自ら衆治せず。
動容古路に揚がり、悄然の機に堕ちず。
所々跡なく、
声色外の威儀なり。
諸方の道に達する者、
みな上々の機という。

竹の一撃の響きに、知識に頼ることを失いました、
もはや自分の知恵によって仏法を求めることはないでしょう。
草の庵の日常は昔からの覚者の道に通じていました、
ひっそりと待っている罠に堕ちることはもうないでしょう。
行いのなかに何処にも執着を留めず闊達となり、
凡情の中の立ち居とは境地が違います。
諸方の道に達した覚者の働きは、
みな透脱の中の働きだといいます。


16
知るべきである、蘇武の山色渓声の褐に示された境地によらなければ釈迦牟尼から
魔訶へと仏法は展開せず、達磨から二祖隻可へと嗣法されることもなかった。
渓声山水の覚りによって自然界の認識と衆生世界ん認識とは同じ場を得た。
釈迦が明星を見て得た覚りも同質の覚りであり、この覚りによって諸覚者の覚りが
あるのだ。このような人々が、仏法を求める志の強く深かった先覚なので。
この昔の覚りのありように、今の人々は、かならず参入してそれを自分のものと
しなければならぬ。今も俗世間の功利に拘らない真実の修行は、
このような志を立てねばならない。釈迦在世のインドから時間も場所も遠く離れた
現代においては真に仏法を求める人は稀である。しかしいないわけではない。


28
正しい修行のとき、渓の声、渓の色、山の色山の声は、あげてみなお前に雄弁に
語りかけることを惜しまないのだ。仏法修行において、もし名利や心身を惜しま
なければ、渓と山もまたそのようにお前のために語り掛けることを惜しまない。
たとえ蘇武がたまたま聴いた夜来の経験のように、お前に渓の声山の色が八万四千
の褐げとなって現れることもあり、また現れないこともあるけれど、自然の声が
色が姿が、人の自然の姿と一如にそのまま現れるような力量をお前がいまだ具えて
いないならば、誰がお前を自然そのままの悟りを得た覚者と認めようか。

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